内容説明
祖国の惨状に心を痛め、医療・教育ボランティアに献身してきた日本在住のアフガン人医師。アフガンの歴史と現在を伝え、真の復興への援助を願う。
目次
第1章 日本で医師として生きる(大家族;校長先生の思い出 ほか)
第2章 アフガニスタンが歩んだ道(前近代のアフガニスタン;近代国家への道 ほか)
第3章 「カレーズ友の会」八年間の歩み(「カレーズ友の会」の立ち上げ(02年4月)
現地で診療所がオープン(02年7月) ほか)
第4章 アフガニスタン人は何を望んでいるか(三〇年間うちつづく戦禍;なぜ好転した状況が再び悪化したのか ほか)
著者等紹介
カレッド,レシャード[カレッド,レシャード]
1950年、アフガニスタンのカンダハールに生まれる。1969年4月来日。千葉大学留学生部を経て、72年京都大学医学部に編入、76年9月卒業。同大学胸部疾患研究所研究員をかわきりに関西電力病院、天理よろず病院、島田市民病院などで勤務医を歴任。87年、日本に帰化。89年から2年間、イエメン共和国結核対策プロジェクトチームリーダーとして赴任。93年、静岡県島田市でレシャード医院を開設、院長。その後、介護老人保健施設アポロン、社会福祉法人島田福祉の杜、特別養護老人ホームあすかを設立、理事長(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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獺祭魚の食客@鯨鯢
59
中村哲さんがアフガニスタンで非業の死を遂げた時、こんな恩知らずなことをするのかと思いました。日本に地域医療で若い時の恩返しをしているアフガニスタン人がいます。世界には地政学的に大国の勢力争いの犠牲となる地域があるようですがアフガニスタンもその一つなのです。 静かな物腰には現代の赤ひげのような風格が漂います。 自らを医師ではなく「医療人」と呼び、いつか故国で衆議院的偏見や因習を乗り越えて医療活動をしたいと願っています。2020/04/28
Molly
3
京大医学部に留学し医者になったアフガニスタン人男性の目から語るアフガニスタンの歴史、当時の現状。 とくに教育や医療を中心に書かれていた。 日本人やアフガニスタンないし中東出身の女性著者が 書くものとは、また違った感じで新しい知見があった。 医者だからこそ、内部まで入っていけ、分かった部分が多々あると思った。この人自身がアフガニスタンに医療ボランティアとして単身戻り、のちには組織立ってアフガニスタンに病院や学校を建てていて立派だと思った。 ★★★★★2021/08/26
スー
3
アフガニスタンのあまりの状況に何から手を付けたらいいのか、全くわからなくなる。ペシャワール会は生きる為には水と食料が必要だと用水路の建設し、カレーズの会は医療と教育の充実に力を注ぐ。しかし問題が多く、治安の悪化、食料不足、地雷、不発弾これらの為に支援活動も進まず、ペシャワール会の伊藤さんの殺害、日本で研修を受けたタヒリ医師が自爆テロで死亡と続き有望な人材が失われていくのはとても辛かった。2016/02/21
天切り松
2
アフガニスタンの分析としては期待はずれ。壊された国を立て直す方法について考えさせられる。教育からと思う。2014/05/11
94867829
0
トライすること。だいじ。2014/06/14