出版社内容情報
1990年代まで「結婚」や「家」と密接な関わりがあった仲人は、どのように広まり定着したのか。また、なぜ衰退して現在では見られなくなったのか。
明治時代以前の村落共同体では見合いが浸透していなかったが、教育勅語や家制度によって仲人が急速に普及する。明治期の家族主義と個人主義、大正期以降に登場する恋愛などとのせめぎ合いのなかで、見合い結婚が「正しい結婚」として位置づけられ、強固に維持されたことを史料を渉猟して明らかにする。
また、明治期に民間の結婚相談所が設立されたが、戦時下の人口政策に組み込まれ厚生省が結婚媒介を統制するに至って、優生思想とも接続しながら全国に結婚斡旋網が形成されたことも掘り起こす。
そして、戦後の民主化や高度経済成長によって見合い結婚は封建的と見なされるようになりながらも、仲人は恋愛結婚や職場結婚と折衷して1990年代まで存続し、2000年代に消滅するプロセスを跡づける。
村落共同体、家、国家、企業と、時代ごとに個々人の帰属先と密接に結び付いてきた仲人の近・現代史から、近代日本の家族や結婚をめぐる価値観の変容を照射する。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
kenitirokikuti
9
図書館にて。仲人(媒酌人)の急減、本書に指摘されて、そういやそうだなぁ…と思った。結婚のとき仲人を立てた率、平成元年には8割だったが、令和元年には1%切るようだ。いまの我々のイメージでは恋愛結婚は現代的だが、見合い結婚は封建的である。しかし、それは現在から過去を振り返ったときに、遠近法のためそう見えるだけであって、仲人の機能は戦前戦後、高度成長期以降、ロスジェネ以降で異なっている。見合いが地域縁→職縁となり、上司が仲人を務めるようになったが、最近の企業は社員に親身にならず、友縁の結婚が微増中。2021/12/26
カモメ
5
武家社会の慣行が浸透する以前は同輩集団の力が強く、基本的に若者仲間の統制下に置かれていた。移動も限られていた為ほとんど村内婚だった。明治に入ってから遠方婚姻が普及し、仲人が重要性を帯びてきた。若者集団は「青年団」として再組織化され、家族国家観を軸にした天皇制イデオロギーを浸透させていった。家族主義と個人主義が対立する中、両者を尊重するうえで仲介が機能していたそう。大正期には恋愛は結婚によってだけ正当化されるというイデオロギーの浸透が見られた。2022/06/06
kaikaikorokoro1
3
仲人についての近代史。明治時代、近代化という名のもとに農村の結婚が共同体の管理から家に移っていく。「伝統」という言葉を歴史的コンテキストを無視して「捏造」して使用するのはいつの時代も同じ。戦中に優性思想と結びついた国家統制による「産めよ増やせよ」の政策。戦後の企業の上司が仲人をするという形で存在したなど、近現代の社会を仲人という切り口で解説している。2022/02/04
takao
1
ふむ2021/12/19