内容説明
テレビにみられる「ボケ」と「ツッコミ」と「フリ」をキーワードにさまざまな笑いの形態を詳細に考察し、主観と客観を巧みに交差させながら笑いに対する介入と放置を繰り返す送り手と受け手の意識構造を浮き彫りにして、「なんでもあり」の感覚を共有することで成立している、笑いを媒介にしたコミュニケーションの社会性を分析。M‐1、ひな壇、女性芸人といったゼロ年代のお笑い状況からテレビと日常的現実が混然となった社会でのコミュニケーション形式を解析する増補決定版。
目次
序章 「観客」と「視聴者」
第1章 マンザイ的「笑い」の誕生―マンザイブームをめぐって
第2章 「仲間」空間と「笑い」
第3章 「笑い」が「感動」に変わるとき
第4章 現代日本社会と「笑い」
終章 「笑う社会」の行方
補論 その後の十年―「芸人」たちの二〇〇〇年代
著者等紹介
太田省一[オオタショウイチ]
1960年、富山県生まれ。社会学者。専攻は社会学、テレビ論(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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壱萬弐仟縁
17
観客と視聴者は、受け手の変転する表情として両義的な関係を結んでいくなかで、従来とは異なる存在の様態を獲得。両者共笑いを構成する担い手、笑いの評価と方向づける(15頁)。1980年代のTV世代を垣間見れる分析となっている。今やTV離れでラジオとネットばかりだが。素人と一緒になって遊ぶとんねるず(74頁)。ガチンコファイトクラブ(151頁~)もボクサー志望の素人が合格してプロになるための過程を描写したが、必ずしもプロになれない。2014/11/30
くらすけ
13
ボケとツッコミの漫才は国際的に見てもユニークな文化だと思います。その成り立ちを具体的なお笑い芸人の例を挙げて解説してくれる本。2023/08/08
サイバーパンツ
13
面白いんだけど、ここに挙げられてるバラエティ番組をあまり見たことがないからか、番組や芸人にあまり興味が持てず、そのせいで理解するのがきつかった。だが、視聴者と芸能人の間にいる有吉やマツコは、芸能人に対する世間の評価を言語化し、面白おかしく伝えることができたので、人気を獲得することができたとか自分の知ってる部分では納得できるものもあったので、やはりこれは私が無知なのが原因なのだろう。2016/05/16
ぷほは
4
数ある青弓社ライブラリーの中でも最も名著とされるものの一つだろう。いま読むとやや批評的な言語感覚で書かれているために論旨を追うのに多少面倒さが先立つものの、その後の著者の書物を決定づける記念碑的作品でありながら、キャラや「素」をめぐる議論にどこか17世紀西洋の身体論や情念論の香しさが漂うところも楽しめる。90~00年代がリアルタイムであるため興味がなくても知っている事象が多いことに改めてテレビの威力を実感させると共に、80年代の漫才ブームに関する圧倒的な自分の世代的無関心ぶりも、それはそれで興味深かった。2022/05/15
72ki
2
80年代以降のテレビ・バラエティ(お笑い)に関しての優れた研究書。だとは思うが、序章で定義される「落語的笑いと漫才的笑い」という部分で抱いた違和感が最後まで覆らず、「笑う社会」というものが像を結ばなかった。例えば欽ちゃんもビッグ3もまずはラジオ・パーソナリティとして人気が高かったといった80年代テレビの「笑い」におけるラジオからの影響があまり考慮されておらず(一部に記述はあるが)、「テレビ」と「社会」を往復する間に「あったかもしれないもの」を感じさせない。さらに範囲を広げた「笑う社会」論も読んでみたい。2013/11/01