内容説明
ラジオ体操、建国体操、日本産業体操、大日本国民体操、国鉄体操―戦前から戦中にかけて、娯楽・健康・鍛錬などを目的として考案された集団体操が、体力向上の旗を掲げた国家の管理政策に組み込まれ、総力戦体制下の日本に根づいていった歴史をたどる。敗戦後の「戦争責任」追及や「復活」をも見通し、「体操の時代」としての近代日本とナショナリズムを問う。
目次
第1部 民衆体育の時代―一九三〇‐三六年(体操普及の課題と集団体操の可能性;アトラクティブな体操の発見と集団体操の国家的イベント化;工場体育としての体操普及;補論 修養団の「国民体操」)
第2部 国民体育の時代―一九三七‐四一年(国民体育の振興と集団体操;体操の乱立と「紀元二千六百年」奉祝行事での集団体操;国民精神の涵養と体操の日本化)
第3部 国民錬成の時代―一九四二‐四五年(アジア・太平洋戦争下の鍛錬体操;東京帝国大学の「全学鍛錬体操」;戦後の体操)
著者等紹介
佐々木浩雄[ササキヒロオ]
1975年生まれ。龍谷大学文学部准教授。専攻は体育学・スポーツ史(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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ちり
1
「一部の人が行いその他は鑑賞するスポーツ」と「みんなが行う体操」、という対比の上で、国民意識の醸成・兵役のための運動能力の向上・集団行動の重視といった理由で後者が国家の管理の元で推し進められる。国家が管理に乗り出す前からすでに一定程度普及しており、戦中にはむしろ緩いものとして退けられていたラジオ体操が、そのために戦後に「戦争責任」をあまり問われる事なく再び愛好されるようになり現在に至っている、のは歴史の妙。2017/08/26
kenitirokikuti
1
まだ労務管理として穏便な運動やらせるのは理解できるが、昭和10年代の儀式対応型の国家主義的な体操になってくると息苦しくなる2016/04/02