内容説明
古来から、日本人の生き方を支配してきた「世間」という枠組。兼好、西鶴、漱石らが描こうとしたその本質とは。西洋の「社会」と「個人」を追究してきた歴史家の視点から問い直す。
目次
第1章 「世間」はどのように捉えられてきたのか
第2章 隠者兼好の「世間」
第3章 真宗教団における「世間」―親鸞とその弟子達
第4章 「色」と「金」の世の中―西鶴への視座
第5章 なぜ漱石は読み継がれてきたのか―明治以降の「世間」と「個人」
第6章 荷風と光晴のヨーロッパ
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
新地学@児童書病発動中
104
他人の目を気にしてしまう日本人の心の在り方に切り込んでいく著書。和歌や随筆、宗教的な文書、小説や詩に出てくる「世間」が考察されている。古代や中世の呪術的な「世間」の概念が、真宗教団の革新性によって崩されていく過程を描く部分は歴史家としての阿倍氏の視点の確かさを感じて、面白く読めた。明治以降では夏目漱石や金子光晴などが取り上げられている。漱石に対しては辛口であり、金子光晴が評価されているところが面白い。漱石は散文を書く人だったので、日本社会の構造を突き放してみることが不可能だったのかもしれない。2014/12/14
5 よういち
94
欧米の社会とは違う、日本独特の枠組み『世間』について考える。◆日本人は世間の目を気にして生きている。世間から相手にされなくなることを恐れ、常に言動にきをつける。/世間を騒がせたことを謝罪する。→自分は悪くないのに/世間とは個人個人を結ぶ関係の環であり、多くの日本人にとって実感をもって仲間と考えるのは自分の世間の中だけ/世間の内部では競争は排除される。/歴史の中で書かれてきた世間:源氏物語・徒然草・吾輩は猫である/日本の個人は世間との関係の中でしか自己表現しえなかった。2019/11/16
mm
34
23年前の新書。この焼き直しみたいな説を今までにいくつか聞いたのだろう。新鮮さが薄くとも故に落ち着いて読めるというメリット有。明治の造語である社会はsocietyの訳だが、個人の尊厳を前提としている。個人と個人を尊重しつつ集団を形成する際のルールや制度を指す。この言葉が輸入された時点では、日本には個人は無く、従って社会という言葉も成立しないのだが、制度や容れ物みたいな感覚で受け入れられた。日本人の人間関係は「世間」という縛りの中で展開している。「世間」がどういうものであったのかを万葉の時代から順に考察。2018/09/15
あっこっこ
24
学生の頃、ちらっと講義の俎上にのった世間学というものが気になって、今更ながら読了。どうしてこうも生きるだけで息苦しいのか、学問、対象化さえしてしまえば分析のしようもある。古くは奈良・平安時代の和歌~漱石・荷風・光晴まで文学作品を中心に「世間」を読み解く。古くから世間のなかで、自己の存在、それを表現すること、行動することを制限されつつも闘おうとした人たちがいた。そのほとんどが世は無常と諦観とともにその情熱を葬り去るか、隠者として暮らすしかなかったが、そうした人たちが過去にいたことにとても励みになる。2019/09/07
那由田 忠
23
西欧に世間がなくて日本だけ世間があるような思い込みで、考察対象にも方法的にも何の一貫性もない(たぶん編集者が事前に準備した参考書と文学の関係部分をつなぎあわせて)気分に乗ったまま書いた歴史的な「雑文」であった。ゆっくり読んでしまって本当に疲れた。やれやれ、困ったもんだ、これが「歴史的名著」とされる日本の読書界は。『ライ麦畑でつかまえて 』なんて世間から逃げようともがく若者の話ではないのだろうか。2017/03/12