新・世界の神話
恐怖の兜

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  • サイズ B6判/ページ数 287p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784047915237
  • NDC分類 983
  • Cコード C0097

内容説明

「いったい、ここは、どこなんだ!?」彼らは孤独に、それぞれ目覚める。そこは小さな部屋、あるのはベッドとパソコンだけ。居場所を把握するため、仲間探しのチャットが始まる。呼びかけに応じたのは、男女八人―。どうやら自分たちが迷い込んだのは、「恐怖の兜」をかぶった巨人の世界らしい。その正体は、牛の頭をもつ怪物ミノタウロス。そう、つまりこの奇妙奇怪な世界は、ミノタウロスの迷宮なのだ。そして彼らは救出の時を待つ。ミノタウロスを退治した、英雄テセウスを。しかしその脱出劇には…驚愕の結末が。現代ロシア文壇に異彩を放つ寵児ペレーヴィン。驚異的な空想と論理をもって一気に描ききる、テセウスとミノタウロスの迷宮神話。

著者等紹介

ペレーヴィン,ヴィクトル[ペレーヴィン,ヴィクトル][Пелевин,ВИКТОР]
1962‐。モスクワ生まれ。現代ロシアで最も人気の高い小説家の一人。ソ連崩壊後の混乱期に『青い火影』、『黄色い矢』、『チャパーエフとプストタ』、『ジェネレーションP』などの作品を次々と発表して、“ポスト共産主義時代”の文学を担う新世代の作家としての評価を確立した。ニューヨーク・タイムズ誌やグランタ誌にも作品を寄稿し、主要作品が各国語に翻訳されるなど、欧米での評価も極めて高い。SF関係の文学賞を何度も受賞し、純文学のジャンルにとどまらず、本国では幅広い読者から圧倒的な人気を博している。2003年には、作品集『どこからでもなくどこへでもない過渡期の弁証法』で、ロシア現代文学アカデミー主催のアポロン・グリゴリエフ賞を受賞した。公の場に姿を現すことを好まず、モスクワ在住と言われるが、詳細は不明

中村唯史[ナカムラタダシ]
東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。山形大学人文学部助教授。専門はロシア文学・ソ連文化論(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

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藤月はな(灯れ松明の火)

38
迷路内に部屋があるという状況に閉じ込められた男女。どうやらミノタウロスが閉じ込められた「ダイダロスの迷路」に閉じ込められ、古代ギリシャ風の服装を着させられた彼らはチャットを通じて情報交換し、ミノタウロスを倒すと言われている勇者、テセウスの救いを待つ。その内、アグレッシブな若人は実際に互いに会いたいと願うようになるが・・・。互いや己とは違う存在がいてこそ、実存性が証明されるがその境界線は曖昧だという空間はSNSによる共有が当たり前になった現代も示す。「そういうオチか!」と腹を抱えてゲラゲラ、笑っていました。2015/04/08

ニミッツクラス

24
06年(平成18年)の税抜2000円の単行本初版。角川の「新・世界の神話」の一冊だけど、レーベルの全体像が判らない。さて本書、知らない別々の部屋で目覚めた男女8人の意思疎通はPCでのチャットのみ。ドアの外は迷宮の一部らしい…ここで、立方体の迷宮の恐怖を描いたB級傑作映画「キューブ」のチャット版を想像してはいけない。あれには命がかかっていた…本書のは生きるには困らないが、迷宮神話に誘導されていく困惑と恐怖が感じられる。ナンチャッテ月探査劇「オモン・ラー」の作者とは到底思えない、奇妙な衝撃の一作。★★★★☆☆2022/04/08

宮永沙織

14
【ミノタウルス】 頭が雄牛、体が人間の異種混合の怪物。本名はアステリウスという。クレタ王ミノスの妻パシファエが、ポセイドンから王に贈られた白い立派な雄牛と交わって生まれた。恐怖におののく王はミノタウルスが人目に触れないよう、お抱えの工人ダイダロスにラビリンスを造らせ、その中に閉じ込めた。ラビリンスは広間と迷路が錯綜した迷宮で、決して出口がみつからないようにできていた。  この怪物は毎年、ミノスがアテネから生贄として連れてくる7人ずつの少年少女を餌として与えられた。アテネの王子テセウスは、こ2010/11/22

かもめ通信

11
ページをめくっているうちに、言いようのない閉塞感に襲われる。 ああ、これこそぺレーヴィン。 オモン・ラーの宇宙船や寝台特急で感じていたあの息苦しさがよみがえる。 広いと思っていた世界は案外狭く、あるとおもっていた終着駅にはたどり着くことがない。 本の中にも、ネットの世界にも、そして自分自身の中にも広がるもの、それこそが迷宮。 そして私は、その迷宮に進んで迷いこむ。 あるいは出口は見いだせないかもしれないが……。 2014/05/04

がんつん

7
自らという認識を0、出発点とせねば思考できないという前提がある。そのように発見された我自身が何者かを考える時、認識は結局、何者かと相対する時の反応として知覚される以上、我ではない彼を設定せざるを得ない。しかし、彼、あるいは、彼を認識する我を信用していいものか?嘘で塗り固められた世界の中で完結するのであれば、その嘘は真実になりうるのだ。だから、彼は誰、という問いかけは、我とは何か、という己自身への問いかけに戻っていく。恐怖の兜は、いわば存在を問い続ける思考の迷宮なのだ。2015/05/27

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