予兆としての写真―映像原論

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  • サイズ A5判/ページ数 168p/高さ 22cm
  • 商品コード 9784000023924
  • NDC分類 740.4
  • Cコード C0072

出版社内容情報

映像は予感や記憶といった私たちの世界像といかに深く関わっているのか.現代のテクノロジーによる地球規模のイメージの再編のダイナミズムを世界像の根源から論じ,その意味を明らかにする画期的な書.図版多数.

内容説明

イメージと言葉による探究の、新たな地平へ―写真から最新のマルチメディアまで、映像のダイナミズムを写真家自身の創造の現場から問い直す。

目次

複雑性の芸術
セレンディピティとわたしの方法
大いなる移動の力
予兆としての映像
未来の光と影
映像の自然
写真のなかの野生
瞬間の彫刻家
受難と運命
イメージの権利

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

gorgeanalogue

1
展覧会のカタログに寄せた文章が多く、イマイチ実感できないくだりも多いけど、「予兆」を見つけようとする語り口は、この人=写真家ならではものだ。最後の写真の著作権を扱った文章は、この本にいらないんじゃ、と思ったが、世界が平板化されたら、写真は新たな予兆の傷をつけに戻ってくるだろう(大意)という締めくくりには、納得した。2017/09/17

長島啓介

0
肉眼が世界を特徴抽出的、散漫に見ているのに対して、カメラは世界を隈なく記録してしまうので、機能の面で両者は大きく異なる。人間の選択性による技術によって、カメラは肉眼に近づき世界の抽象化を果たした。撮影者も世界を抽象する観察者であり、カメラと撮影者は、ひとつながりの「系」として世界との関係を結ぶ。二十世紀の物神としてのカメラは、外側から固定化して現象を捉える従来のリアリズムや客観主義的な方法とは異なり、現象の内側に置かれることで、カメラと撮影者と世界とがひとつながりの「系」となり、もうひとつの現実を追求する2013/11/17

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