内容説明
1974年、32才の若き画家は、海で逝った―。未公開の日記、スケッチブック等、50冊を超える遺されたノートより、60~70年代を駈け抜け、2000点余の絵を描いて夭逝した芸術家の核心に迫る。
目次
日記 一九五八(昭和三十三)年
日記 一九五八(昭和三十三)年‐一九五九(昭和三十四)年
日記 一九五九(昭和三十四)年
日記 一九五九(昭和三十四)年‐一九六〇(昭和三十五)年
日記 一九六〇(昭和三十五)年
日記 一九六一(昭和三十六)年
ノート 一九六一(昭和三十六)年三月下旬‐四月下旬頃
ノート 一九六一(昭和三十六)年頃
黄色のクロッキー帖 一九六一(昭和三十六)年頃
青色のクロッキー帖 一九六〇(昭和三十五)年頃〔ほか〕
著者等紹介
難波田史男[ナンバタフミオ]
1941(昭和16)年4月27日、東京都世田谷区経堂に生れる。1960(昭和35)年4月文化学院美術科入学。村井正誠、山本蘭村の指導をうける。1962(昭和37)年文化学院を中退。1965(昭和40)年4月早稲田大学第一文学部美術専修に入学。青柳正廣教授や大澤武雄教授らの指導をうける。1970(昭和45)年10月早稲田大学第一文学部美術専修卒業。1971(昭和46)年6月「第一回新鋭選抜展」(三越)に選ばれ、中版の水彩四点を出品。1974(昭和49)年1月29日、九州旅行の帰路、瀬戸内海にてフェリーより転落溺死す。三十二才であった。6月「第四回新鋭選抜展」へ水彩小品の1973年作『ひとり』『彼方』『女神』『空』『星空の下』五点を父による選択で出品、入賞する(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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