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内容説明
鏡のなか―そこにいるのはわたしだろうか。だが、そこではわたしのどのような行為もイニシアチヴを失い、なにごとをもはじめえないだろう。わたしが断定するとき、すでにそこには同じ断定が先取りされていて、わたしの断定がわたしのものであることを蝕んでしまうだろう。このコギトの崩壊。わたしは見ているが、それはもはや、わたしの見ることの可能性によってではなく、ある非人称的な見ないことの不可能性によってなのだ。そこにいるのはだれか。そして、だれが語っているのか。
目次
鏡について
神話について―ギュスターヴ・モロー
街について―ベル・エポックのポスター
顔について―素朴画家たち
鳥について―ジョルジュ・ブラック
夜について―ホアン・ミロ
訪れについて―三岸好太郎と佐伯祐三
眼について―アンドレ・ブルトン
ランプについて―イヴ・ボンヌフォア
出口について―清岡卓行
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
しゅん
12
鏡の中の空間は存在しないが、しかし紛れもなく存在していると感知される。鏡の中の不在の空間を、人は見ないわけにはいかない。ジャコメッティの細く伸びた彫像は、その不可能な空間感覚を物質に映す手段といえるか。「不在だが存在する」という点で、宮川は鏡と言葉と死に共通点を見出し、「イマージュ」という一語で貫いて語る。美術作品と詩によってもたらされる「イマージュ」体験を、言葉という「イマージュ」体験でさらに記すこと。理路整然としていながらつかみどころのないその読書感覚は、その作業のややこしさから生み出される。2022/11/10
zumi
12
再読。やはり演習を受けた後だと、理解できる部分が少しは増えた気がする。「見ないこと=イメージの不可能性」、つまり見られることでしか存在しないということ。それがイマージュとして増殖・敷衍していく。しかし、そこには似ているが完璧な再現は存在しない。いわばズレがある。しかし、そのズレこそに我々は魅了されるのだ。違うからこそ、似ていると感じさせる魅力...ちなみにモローの絵画の神話学の構造ーー善悪の対立に始まり芸術の危機・讃歌につながる主題ーーにも言及されていて、そちらも中々魅力的なので、画集と併せて...2014/03/14
子音はC 母音はA
4
実在の反射である(鏡)と現実に基づいた(イマージュ)は対称的に思われるが、鏡もイマージュもそれ自体が無ければ芸術の強度を持ち得ぬことを悟る。宮川淳は、そのイマージュの強度を/夜/顔/出口/鳥などに求め、それにまつわる芸術作品を紐解いていく。2014/07/26
午後
3
ブランショの言う、事物の遠ざかりそのものとしてのイマージュ、「見ないことの不可能性」、それ自体イマージュと化した空間である鏡をキーワードとして、ジャコメッティの作品やソレルスの小説、モローの主題、ベルエポックのポスター、素朴画家、ブルトン、ボヌフォワの詩が語られる。そして最後に鏡が砕かれる瞬間から言葉をはじめた詩人、清岡貞行に話題は移り、オルフェウスの如く、鏡の方へもう一度振り返って終わる。出来すぎた書物。2023/05/13
HiRaNo
1
非人称。「と」のこと2014/10/14