メディアが市民の敵になる―さようなら読売新聞

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メディアが市民の敵になる―さようなら読売新聞

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  • サイズ A5判/ページ数 270p/高さ 22cm
  • 商品コード 9784877982225
  • NDC分類 070.15
  • Cコード C0036

出版社内容情報

第1部は『週刊金曜日』(1999/8/27~2003/12/19)連載のまとめ。第2部は拉致・北朝鮮報道批判とそれをめぐる記者職剥奪・退社への顛末。人権がテーマの待望の報道年鑑第2弾!

第1部◆現場で考えた’99 ~’03 報道検証



1999年

全日空機ハイジャック◆ 主体性のない実名報道転換
「オウム退出」トラブル◆ メディアが煽った「住民不安」
神奈川県警不祥事◆ ?根腐れ?は全国警察もメディアにも
「オウム排斥」報道◆ 新・破防法に手を貸すメディア
甲山事件無罪確定◆ メディアがふれない報道責任
メディア法規制◆ 国家管理に動き出し自民党
「実名報道」被害◆ 匿名原則を求める報道被害者
神奈川県警不祥事◆ 「警察の犯罪」監視はだれの役割か
文京「お受験殺人」報道◆ 「歪んだ母性」報道を超えた叫び
2000年

死刑執行報道◆ 「死刑大国」を支える世論操作
皇太子妃「懐妊の兆候」報道◆ 祝意を強要したメディア
性差別広告規制◆ 問われる週刊誌の使命
犯罪被害者報道◆ 「犯人より怖い」無神経な取材
週刊誌広告規制◆ 〈報道リンチ〉に加わる新聞
桶川事件◆ 悩み考える地元紙記者
「少年実名報道容認」判決◆ マスコミは社会的制裁機関か
少年事件と実名報道◆ 「常識」超える深い思考を
「サツ回り」記者◆ 新人教育も見直しが必要だ
相次ぐ少年事れ成人式」報道◆ 逮捕=実名は大人の仕事?
「人権救済機関」問題◆ 説得力欠く新聞協会意見書
新聞の実名報道◆ ホームページが報道被害増幅
日弁連の人権機関構想◆ 決断を迫られるメディア
「日の丸・君が代」強制◆ 知る権利に応える報道を
データベースの報道被害◆ 誤報訂正はだれの責任か
映画『日本の黒い夏 冤罪』◆ 見えてこない誤報の構造
「恵庭OL殺人」事件◆ 崩れてきた初期報道の構図
続「恵庭OL殺人」事件◆ 見込み捜査を見直す報道を
人権擁護推進審の答申◆ どう防ぐ 報道への権力介入
大阪・児童殺傷事件(池田小事件)◆ 冷静な議論封じ込める報道
「公民教科書」と離婚報道◆ 「女は家庭」で一致の価値観
沖縄・米兵性暴力事件◆ 「新聞が書かないこと」とは?
「恵庭OL殺人」事件◆ 露呈した検察の性差別意識
『FOCUS』廃刊◆ いじめ・のぞき写真の敗北
北陵クリニック事件(仙台筋弛緩剤事件)◆ 捜査監視報道の目を摘むな
大阪・児童殺傷事件(池田小事件)◆ 精神病歴報道が残したもの
米「テロ報復戦争」◆ 権力側情報を見直す視点を
米「テロ報復戦争」報道◆ 〈過去〉を繰り返さなの判決
和歌山毒カレー事件◆ 「捜査協力者」になった報道機関
人権擁護法案と国連の懸念◆ 自戒すべきは、犯人視報道
メディア法規制と報道被害◆ 「報道の自由」をかざす前に
「日朝交渉」報道◆ 問うべきは日本の侵略責任
「能登沖不審船」報道◆ 欠落した「公正・冷静・反省」
日朝首脳会談◆ 「拉致一色」報道が隠す日本側の侵略責任
和歌山毒カレー事件◆ 裁判報道にも続く「犯人視」
女性運動バッシング◆ 沈黙・加担するメディア
「金髪先生逮捕」事件◆ 〈本当のこと〉を伝えない新聞
メディア法規制◆ 報道被害者の声を聞こう
日朝交渉報道◆ 日本人が向きあうべき問題は
「拉致」報道とバッシング◆ 翼賛メディアの報道統制だ


2003年

日朝交渉と拉致報道◆ 植民地支配への沈黙を問う
「日朝交渉」報道◆ 外部の圧力で「記者職」剥奪
拉致報道と植民地支配◆ 〈被害者の立場〉の二重基準
記者の「言論の自由」◆ 新聞にも情報公開が必要だ
桶川事件国賠訴訟◆ メディアにも〈自省〉が必要だ
教育基本法「改正」答申◆ 危険性を伝えない新聞報道
「恵庭OL殺人」事件◆ 「可能性」の積み重か
「どうなる? 2004年 年を越す の課題」◆ 有事体制づくりのもとで進む権力肥大と人権侵害
第2部◆拉致・北朝鮮報道批判と記者職剥奪の顛末



拉致一色報道が隠す〈未精算の過去〉

はじめに
日朝国交正常化交渉と「九・一七日朝首脳会談」の問題点
 1日朝国交正常化交渉の経過
 2「九・一七日朝首脳会談」
〈過剰と欠落〉――拉致・朝鮮非難一色に塗りつぶされた日朝首脳会談報道
 1ナショナリズムを煽る朝鮮断罪報道
 2「日韓方式」への無批判な報道
 3報道されない〈未精算の過去〉
おわりに



新聞記者の〈言論の不自由〉を考える

問題とされた『週刊金曜日』連載
「新たな社内規定」問題
その場で「昇格人事」を断った
仕事より「社内の立場」優先の外圧人事
社外メディアで発言することの意味
自らへの批判を許さない「権力としてのメディア」



〈居直りのナショナリズム〉に負けない

始まった新たな戦前
加害者の汚名を逃れて被害者へ
最後のターゲット、憲法九条
言論・報道機関の自殺行為



はじめに



 私は一九七三年に読売新聞社に入り、三〇年余り記者として取材・編集・報道に携わった後、「定年」まで五年余を残し、二〇〇三年一二月末、読売新聞社を退社した。退社のきっかけは、二〇〇二年秋の「日朝首脳会談」報道をめぐり、私が『週刊金曜日』誌上で《「拉致一色」報道が隠す日本側の侵略責任》などと批判したことを理由に翌年二月、「記者職」を剥奪されたことだった。
 私は入社直後から、「新聞記者であること」に悩んできた。市民の人権を守り、権力を監視する立場にあるマスメディアが、警察情報を鵜呑みにした犯人視・プライバシー侵害報道で市民を苦しめている。私は人権侵害をするために記者になったのではない。なんとかして報道のありようを変えたい――そう思い続けてきた私は一九八五年、報道被害をなくそうと発足した「人権と報道・連絡会」に参加、その世話人として活動してきた。
 この活動を通じ、私は社外のメディアで、メディア批判の記事・論文を書くようになった。人権と報道・連絡会で知ったさまざまな報道被害の実態、それに対するメディアの対応、権力側の報道規制の動き。それらのレポートを、月刊誌『法学セミナー』(日本評論社)制翼賛化」とそれを固定する「報道統制」だ。
 二〇〇一年「9・ 」事件後のアフガニスタン攻撃、二〇〇二年「9・ 」後の日朝交渉・「北朝鮮」報道、二〇〇三年のイラク侵略とイラク占領をめぐる報道で、メディアの「翼賛化」は目を覆うばかりになった。そのかげで、有事法制という名の戦時体制作りが着々と進行し、自衛隊のイラク派兵が強行された。今や憲法九条は風前の灯であり、「改憲」は現実の政治日程に上っている。
 私は九七年八月以来、『週刊金曜日』の「人権とメディア」欄に隔週で報道検証の記事を書いてきたが、二〇〇一年以降は、戦争と侵略をめぐる報道を取り上げることが多くなった。それこそが最大の人権侵害だからだ。私に対する「記者職剥奪」も、そうした中で起きた。
 本書では、九九年八月から二〇〇三年一二月末までに『週刊金曜日』に連載した記事を第一部「現場で考えた ~ 報道検証」として収録した。これは九九年に出版した『ニュースの虚構 メディアの真実――現場で考えた ~ 報道検証』(現代人文社)の続編に当たる。
 第二部「翼賛化するメディアと記者職剥奪」には、『検証・「拉致帰国者」マスコミ報道』(人権と報道・連絡会編、社会評論

内容説明

新聞記者の“言論の自由”を奪うのは誰か。「こんな言葉を向けなければならないのは、ほんとうに残念だ」ジャーナリズムを忘れた現代のメディアを考える。「9・11」、ブッシュの戦争、「北朝鮮」・拉致、有事法制、憲法9条、警察不祥事、少年事件、犯罪被害者、恵庭冤罪事件、メディア法規制…。「問題の報道」をリアルタイムで検証・批判。

目次

第1部 現場で考えた’99~’03報道検証(全日空機ハイジャック―主体性のない実名報道転換;「オウム進出」トラブル―メディアが煽った「住民不安」;神奈川県警不祥事―“根腐れ”は全国警察もメディアにも;「オウム訴斥」報道―新・破防法に手を貸すメディア ほか)
第2部 翼賛化するメディアと記者職剥奪(拉致一色報道が隠す“未清算の過去”―日朝交渉はいかに報じられてきたか;新聞記者の“言論の不自由”を考える;“居直りのナショナリズム”に負けない)
さようなら読売新聞―あとがきに代えて

著者等紹介

山口正紀[ヤマグチマサノリ]
「人権と報道・連絡会」世話人、ジャーナリスト。1949年、大阪府生まれ。1973年、読売新聞入社。宇都宮支局、甲府支局、東京本社地方部、婦人部・生活情報部、情報調査部、データベース部などを経て2003年12月末退社。以後、フリージャーナリストとして活動。97年から『週刊金曜日』に「人権とメディア」を隔週連載中
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

takao

2
メディア批判する読売新聞記者2022/07/15

おたきたお

0
地域を壊す取材被害を起こし、権力のチェックを行うどころか逆にチェックされているマスメディアに対して、批判だけでなく国民の側に立った取材とは何かをつきつける。松本サリン事件や桶川ストーカー事件などの取材被害の当事者との対話を行うこともその一つ。「新聞を批判するなら、記者を辞めろ」という声に対して「日本社会のありようを批判するなら、日本人をやめるべきなのか」「内部告発情報が寄せられた場合どう対処するのだろうか」と返してきた著者の言葉を屁理屈だとは思わない。むしろ「公正中立」といった文言の方が空虚に響く。2006/01/01

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