家族の終わりに

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  • サイズ B6判/ページ数 454p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784863320093
  • NDC分類 933
  • Cコード C0097

内容説明

1950年後半、高度経済成長期のニューヨーク郊外。理想のマイホームと、大企業の一員としての地位を得ながらも、現実からの逃避と、自由な人生を夢見る若き人びと。常識から逸脱できぬまま、心の声を押し殺すうちに生まれた暗雲が、しだいに幸せな家庭にも影を落としてゆく…。何不自由ない暮らしのなかで、心はなぜか不自由になっていった…。ふとしたきっかけで崩れてゆく「家族」という名の幻想を描いた物語。

著者等紹介

イエーツ,リチャード[イエーツ,リチャード][Yates,Richard]
1926年アメリカ・ニューヨーク生まれ。両親の離婚により、幼少時代は各地を転々として過ごす。第二次世界大戦に従軍後、ジャーナリスト兼フリーライターとして活躍、ロバート・ケネディ上院議員のスピーチライターなどもつとめた。1961年、『家族の終わりに』で小説家としてデビュー、いきなり全米図書賞(NBA)の最終候補に残る快挙を成し遂げる。その後、コロンビア大学やボストン大学で教鞭をとりながら8作の小説を発表した。1992年没

村松潔[ムラマツキヨシ]
1946年東京生まれ。国際基督教大学卒。翻訳家(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

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ヴェネツィア

301
時は1955年。第2次大戦が終わって10年。アメリカが我が世の春を謳歌していた時代である。所はコネティカット州のレヴォルーショナリー・ロードと名付けられた新興住宅地である。アメリカン・ドリームを実現した邸宅が建っているわけではないが、アッパーミドルがニューヨークの郊外に一戸建ての家を構える地域である。フランクとエイプリルの夫婦に6歳の娘と4歳の息子。絵にかいたようなアメリカン・ファミリーである。本書の出版は1962年であるが、著者のイエーツはすでにこうした生活の危うさを見通していたのだろう。まさに⇒2024/02/10

遥かなる想い

195
1950年代のアメリカの理想的な家族の 絶望的な空虚さを描く。 フランクとエイプリル夫妻の会話から、 さりげなく 当時の人々の価値観のような ものが伝わってくる。 本当にやりたい人生とは何なのか? 二人が見た夢は 何なのか? ひどく共感できない夫婦の行く末は、もの哀しい…そんな印象の作品だった。2018/06/05

ケイ

122
あきれ果てて読む気が何度も途中で失せ、読了に時間がかかった。彼女にはこの言葉を送りたい、そして自らにも自戒としたい。「主よ、慰められるよりも慰め、理解されるより理解し、愛されるよりも愛することを求めさせてください」(フランチェスコ平和への祈り) 私は信者ではないが、これはもう格言だと思っている。タイタニックは観ていないが、美しい恋愛ものだったならば、こういう映画で再共演はして欲しくなかったと思う。2017/06/07

まふ

79
インテリ階層の優秀なセールスマンとその美人妻が刺激のない生活に不満を持ち、次第に夫婦間の軋轢も目立ち始める。この閉鎖的状況打破のために二人はパリへ転居を計画し周囲にも告げるが不用意にも3人目の子供を懐妊したため計画は挫折する。妻は諦めきれず、とんでもない大事に至る…。物語の設定として腑に落ちないのが3人目の懐妊による計画全体の挫折だ。あまりにも慎重さが足りないではないか…と不満を言っても仕方がない。総じてややダラダラと物語は進み、今一つ説得力に欠ける必然性不足の物語であると思った。 G527/1000。2024/06/04

NAO

50
凡庸であることに対する、極端なまでの毛嫌いと怖れ。それは、いったい何に起因するものなのだろう。舞台設定の50年代のアメリカでは、本当に誰もが、無邪気に自分は何にでもなれると信じきっていたのだろうか。そして、誰もが、自分は他の人間よりも優位にあると思わずにはいられなかったのだろうか。エイプリルが思い描き続けていた才能ある夫との輝かしい生活と実生活とのギャップは彼女を苦しめる続けるが、新会社にスカウトされたフランクのコマーシャルセンスこそが彼の真の才能だったのではないかと思うのだが。2016/07/29

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