内容説明
ハイゼンベルクとパウリに量子力学を学んだパイエルスは、いつも元気で世話好きな妻のジニアとともに、4人の子供たちと大勢の研究者を育て、物理学の大家族を築く。ヒトラーの難民となった戦時中に原爆の可能性を示すフリッシュ‐パイエルスのメモを書いたことが、核の時代への彼の関心を持続させた。本書は20世紀の物理学の群像の物語でもある。戦争と核の時代を生きたパイエルスの物理学と家族と大勢の仲間たちの遍歴の記録。
目次
家族と子供のころ
学生時代
パウリの助手
ロックフェラー奨学生
イギリスに根を張る
地方の椅子
戦争
マンハッタン管区
バーミンガムに落ち着く
教育
旅行と脇道
核兵器の問題
オックスフォード
「安全保障」のトラブル
引退
著者等紹介
パイエルス,ルドルフ[パイエルス,ルドルフ][Peierls,Rudolf]
1907年ベルリン近郊のオーバーシェーネバイデで誕生。1916‐25年ヒンデンブルグ校、後にフンボルト校、オーバーシェーネバイデ。1925‐26年ベルリン大学。1926‐28年ミュンヘン大学。1928‐29年ライプチヒ大学。1929‐32年連邦工科大学、チューリッヒ。1929年哲学博士。1930年オデッサ会議。1931年レニングラードの訪問講師。1932‐33年ロックフェラー奨学生、ローマとケンブリッジ。1933‐35年マンチェスター大学奨学生。1935‐37年ケンブリッジ大学モンド研究所研究員。1937‐63年バーミンガム大学教授。1940‐43年モード委員会と管合金委員会で原子エネルギー研究。1943‐45年マンハッタン管区に従事、ニューヨークとロスアラモス。1952年プリンストン高等研究所滞在、ニュージャージー。1959年コロンビア大学一学期間滞在。1963‐74年オックスフォード大学ウィクハム教授職、ニュー・カレッジのフェロー。1967年ワシントン大学バッテル教授職、シアトル。1974年引退。1975‐77年ワシントン大学不定期教授。1995年死去
松田文夫[マツダフミオ]
1973年に東京大学工学部原子力工学科を卒業、原子力に関連する仕事に携わり、現在に至る。日本原子力学会の会員
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。