出版社内容情報
映画とは、社会的・歴史的に生起する複数の事件である──。私的趣味の問題として消費され政治的な磁場を失ってしまった映画的言説。その空虚さにあらがい、映像をめぐる思考をふたたび公共世界へと救い出そうとする、来るべき言葉のための映画批評集。
はじめに 長谷正人
第1部 戦後日本映画のポリティクス
第1章 占領下の時代劇としての『羅生門』――「映像の社会学」の可能性をめぐって 長谷正人
1 「映像」と「社会」の関係
2 『羅生門』の社会学
3 占領下の言説空間と時代劇の革新
4 黒澤明による殺陣の革新――『荒木又右衛門 決闘鍵屋の辻』と『羅生門』
5 ヒューマニズム的な残酷表現のパラドックス
第2章 失われたファルスを求めて――木下惠介の「涙の三部作」再考 斉藤綾子
1 問題提起
2 涙の神話性
3 木下的共同体の謎
4 敗戦という外傷(トラウマ)
5 ドミナント・フィクション
6 不安と涙
7 「涙の三部作」の意味
第2部 ハリウッド映画のポリティクス
第3章 ハリウッド映画へのニュースの侵入――『スミス都へ行く』と『市民ケーン』におけるメディアとメロドラマ 中村秀之
1 ハリウッド映画、政治的公共圏、ニュース・メディア――一九三八―三九年
2 『スミス都へ行く』――メディアのメロドラマ的空間表象
3 『市民ケーン』――メロドラマ的メディア空間の脱構路隆志
1 フィールド=戦場の「発見」
2 「到着の物語」
3 複数の「近代」
4 反「到着」の物語
5 結びにかえて
文献案内
あとがき 中村秀之
初出一覧
目次
第1部 戦後日本映画のポリティクス(占領下の時代劇としての『羅生門』―「映像の社会学」の可能性をめぐって;失われたファルスを求めて―木下恵介の「涙の三部作」再考)
第2部 ハリウッド映画のポリティクス(ハリウッド映画へのニュースの侵入―『スミス都へ行く』と『市民ケーン』におけるメディアとメロドラマ;ヒッチコック(もまた)戦争に行く―『救命艇』のなかの黒人
『シンドラーのリスト』は『ショアー』ではない―第二戒、ポピュラー・モダニズム、公共の記憶)
第3部 ノンフィクション映画のポリティクス(柳田国男と文化映画―昭和十年代における日常生活の発見と国民の創造/想像;反到着の物語―エスノグラフィーとしての小川プロ映画)
著者等紹介
長谷正人[ハセマサト]
1959年生まれ。早稲田大学文学部教授。専攻は映像文化論、コミュニケーション論
中村秀之[ナカムラヒデユキ]
1955年生まれ。桃山学院大学社会学部助教授。専攻は文化社会学、映画学、メディア論
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