内容説明
本書は、昭和十五年秋、皇紀二千六百年を祝って東京帝室博物館で開かれた正倉院御物展の拝観をきっかけに想を起し、ほぼ一年で脱稿したのち、同十七年六月に上梓されたA五判五百七十一頁に及ぶ大著である。即ち、天平文化を仏教文化と見倣す一般の風潮を排し、『万葉集』の成立事情からその文化を見直すべきだとする天平文化論の性格をも備えた著者の代表作である。就中、同集の成立に果した大伴家持の役割が、国史の信実を再構築する営為にほかならなかったという一冊の眼目は、何よりも本書の性格を示して、著者の異立を表わしている。古典が持て囃され、国粋が幅を利かす時局とは別のところで、「今日に於て万葉集の最後の読者であるかもしれない」と誌す保田は、自らを家持の孤影に重ねていたのだろうか。
目次
万葉集と家持
慟哭の悲歌
嗚咽の哀歌
言霊の風雅
時代
少年期
家庭と文化
青年
囘想と自覚
運命
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
双海(ふたみ)
13
「萬葉集より歴史の精神と國の文化に對する古人の悲願を抹殺し、單に素樸なものに還元することは、近い文明開化時代以後皍ち國學衰退以降の俗習となつた」2014/06/03
ダイキ
6
今の私にはとても讀めるものではなかつたが、この書は萬葉集に關する未曾有の書である事は理解できる。しかしさういつた言ひ方は語弊ある。この書は萬葉集の歌人達や、萬葉集を讀み解いてきた歷代の詩人達の精神、そして願ひの結晶だと、私は思ふからである。保田にとつて、この書は何ら新しいことを書いた譯ではないやうに思へる。當たり前の事を當たり前に書いてゐる。さう讀者に感じさせるほど、保田の文章は堂々としてゐる。彼が出現せざるを得なかつたのは悲劇に違ひないが、私は保田與重郎といふ偉大な詩人が存在した事を本當に有難く思ふ。2014/12/17