内容説明
慣例化した戦後詩の隠喩的話法をいかに相対化するか。散文化した詩の換喩的書法にどのような時代性があるのか。詩・散文・批評の臨界をモダニティの構造から解き明かした朔太郎論を入口に鮎川信夫、吉岡実から吉増剛造、稲川方人までをターゲットにする。共同体の外からやってくるハーメルンの笛吹きのように既成の詩史をデコンストラクトする軽快でポレミカルなフットワーク!
目次
第1部 詩的モダニティの系譜(詩的モダニティの系譜―萩原朔太郎の位置)
第2部 〔ポ〕エティックの舞台(「市民」と「詩人」―鮎川信夫論;反=隠喩としての詩―北村太郎論;詩的モノローグの彼岸―田村隆一論;「おとづれ人」の書法―黒田喜夫論;散文=詩という逆説―岩田宏論;詩的臨界とその外―吉岡実論;忘却についての試論―入沢康夫論;聖杯の不在―天沢退二郎論;測量士の「女根」―吉増剛造論;機知としての詩=俳句―寺山修司論;コミュニケーションとしての「飢え」―石原吉郎論;不眠者の間隙―山本陽子論;複製の王国―ねじめ正一論;「主体の廃墟」の後に―稲川方人論)
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
罵q
1
泡鳴=小林秀雄の「詩概念(ポエジー)」とそれに並走する「口語」自由詩の歴史に対し、朔太郎以降の「文」の審級で戦後詩をふるいにかけることで、転回を図った一冊。「隠喩=表現」への批判的態度というスタンスは、のちの「文芸時評というモード」付近でも現れている。2018/06/19
hitotoseno
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明治以降の日本近代詩が持たざるを得なかった両義性を解き明かしながら、散文と詩の対立、「詩はほろんだ」に代表される大衆社会と詩の対立に代表される、単純な二項対立のみならず、詩の中で生まれる言葉と言葉の葛藤、「散文の中に詩を見出す(小林秀雄)」批評との関連などを網羅的に論ずる好著。著者の論点からすれば近代詩はそれ自体の純粋性に基づいて自立する事など出来ず、常に他者との相克によってこそ成り立つものだとされる。このパースペクティブの維持がマンネリに感じられることもあるが、鋭利な分析がそれを見事に補ってくれる。2013/02/19