- ホーム
- > 和書
- > コンピュータ
- > インターネット
- > インターネット入門・活用
内容説明
インターネットはわれわれに何をもたらすのか。人工知能批判やハイデガー研究で知られるドレイファスが、インターネットの原理的限界とそれへの過剰な期待を批判し、身体的コミットメントの重要さを解き明かす。
目次
序論
第1章 ハイパーリンクに関する誇大宣伝
第2章 遠隔学習は教育からどれくらい遠いか?
第3章 身体を欠いたテレプレゼンスと現実の遠さ
第4章 情報ハイウェイのニヒリズム。現代における匿名性とコミットメント
結論
著者等紹介
ドレイファス,ヒューバート・L.[ドレイファス,ヒューバートL.][Dreyfus,Hubert L.]
カリフォルニア大学バークレー校大学院の哲学教授
石原孝二[イシハラコウジ]
1991年早稲田大学第一文学部卒業。1996年東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。1997年北海道大学文学部助教授。2000年北海道大学大学院文学研究科助教授(倫理学講座)、現在にいたる
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
YO)))
16
メルロ=ポンティの身体論やキルケゴールのメディア批判(水平化・匿名化されたコミットメントなき公共)を引きながら、インターネットのリスクと限界が語られている。 サイバースペースが身体性を置き去りにしていて実現できることに限界があることは、わりと誰しも素直に首肯できるのではと思うが、それよりも大事なのは、サイバースペースの成立の前提となっていて、現状ではAIやディープラーニングではそのフレームを超えることの出来ない、2021/10/02
アルゴス
1
インターネットとAIに批判的な哲学者であるドレイファスのインターネット批判。インターネットの批判者と称賛者には共通点がある。インターネットに多くを望みすぎるのである。批判者は現実とその理想像を比較しながら批判し、称賛者はその理想像を実現することを目指しながら、その可能性をたたえる。しかし現実はつねにその中途にある。インターネットはわたしたちが利用できる重要な手段であり、その欠点と利点を勘案しながら活用すべきものにすぎない。ドレイファスは「中級レベル」の教育しか実現できないというが、それで十分ではないか。2017/11/16
生きることが苦手なフレンズ
0
かなり前に書かれた本ですが、訳者が後付けで書いてることよりも現在に至るまでインターネットの問題の本質をついていてすごいと思いました、、、第3章までは。 まさか、ネット上の質と意味を欠いた情報とコミュニケーションから現実の問題にコミットメントする人たちがかなりのプレゼンスを得るなんて、、、2016/10/29
au-lab
0
2001年、まさにインターネットの「リスク」が顕在化した時期の、ある種の「悲観論」を代表する一冊。メルロ=ポンティ的な身体観と、キルケゴールのコミットメントに依拠しつつ、カーツワイル的な拡張論の原理的な不可能性を、非常にシンプルかつわかりやすく、身体の「今ーここ」性を論拠に説いていく。サーチエンジンの捉え方などは古さを感じざるを得ないが、本質的なメッセージとしての有効性は今も変わらない。2016/09/01