コンピュータには何ができないか―哲学的人工知能批判

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コンピュータには何ができないか―哲学的人工知能批判

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  • サイズ B6判/ページ数 610p/高さ 20X14cm
  • 商品コード 9784782800690
  • NDC分類 007.1
  • Cコード C0010

出版社内容情報

★本書は『書評空間 KINOKUNIYA BOOKLOG』にエントリーされています。

内容説明

人工知能研究の可能性と限界を、哲学的な根本問題にまで遡って論究した、反AI論の古典。認知科学、人工知能研究、哲学の分野に関わる人々のみならず、今後のコンピュータ社会を考える万人にとっての必読書。

目次

第1部 人工知能研究の10年(1957―1967)
第2部 根強い楽観論を支える四つの前提
第3部 伝統的前提に代わるもの
結論 人工理性の射程と限界

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

磁石

13
純粋な人工知能はない。知能というのは、状況や身体に寄り添って成長し刻々とその場その場で対応するもの。それはチェスであっても同じで、人の指し方とコンピュータの指し方では全く違う。可能性をしらみつぶしに考え尽くすのではなくて、答えを予め知っているかのように焦点を合わせて考える。コンピューターは予め定められた規則に従うだけで、それ以上でもそれ以下でもない。だけど人は、周囲の状況や身体の有り様からその規則を柔軟に変えてしまう。人工知能の研究で得られるものは多いけど、目的地を変えた方が今後の為になる。2014/08/31

みき

6
状況の理解が側面の特定に先行する、という現象学的な人間知能の発見はわかりやすい。しかし、その状況の理解をささえるものを範例、具体的経験、文化と言って表現される背景としたとき、知的振る舞いを明示しようとすると(循環、無限であるということから)無限退行に陥るとする意見は早計じゃないかと思う。規則化、ではなく必要なのは全体感じゃないかな。面白かった。2017/12/29

はゃゃ

2
現象学の流れを汲む哲学者による人工知能批判の古典。初版が1972年ということもあり、現在の人工知能研究の潮流にいる者からすると的外れに感じられそうだが、当時のルールベースのAIの研究の限界を示し、超克されるべきとして身体性の問題を挙げ、そのような潮流を作った、そしてそれが哲学者という立場からの批判だった点こそが、評価されているのだろう。「序文→訳者あとがき→本文1,2章→改訂版への序文(第3,4期)→以下本文→改訂版への序文(結論)」の順で読むべき。2014/09/01

T2C_

1
人工知能に理想を見出だしていた身として、中盤辺りからの記述的限界や根本的相違について述べられて居る面で大いに絶望し日常生活に支障を来す程であったが、最終的にドレイファスは人工知能自体に不可能性を見出だしているというより既存のアプローチが的外れである事を指摘している事が分かり、折れずに読み進めて良かったと心底から思った。カント、ハイデガー、ウィトゲンシュタインやフッサール、クーンなど哲学的な素養が無ければ読み進めるのは厳しいだろうが、これ程に古くも心動かされる書籍は久々に手にした。先に進む燃料にする次第。2014/06/11

生きることが苦手なフレンズ

0
否定的な予言とはいえ、現在に至るまで的中率75パーセントというのはすごい! 古さは感じますが、著者の主張というよりは当時のAI研究の最前線が古くなったためで、根本的な指摘は十分通用するものと思います。先に読んだ消去的唯物論の本で疑問に思っていた、そもそも人間の心と脳科学やAIでは扱っているレベルが違うのでは?という点を考察しており、思考がすんなりと入ってきました。惜しむらくはいくらか否定に走りすぎ、この問題を通して思想を深めたり、建設的に「AI」とよばれるもののある世界について議論できていない。2016/11/03

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