パンツをはいたサル―人間は、どういう生物か (新版)

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  • サイズ B6判/ページ数 222p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784768468999
  • NDC分類 389.04
  • Cコード C0030

内容説明

ヒトの社会に充満する混乱を解きほぐすために、あらゆる学問の障壁を取り払い、「過剰」「蕩尽」「パンツ」というキーワードで、ヒトの本質を解明した名著の新版。

目次

第1章 人間は知恵のある生物か
第2章 おカネという名のパンツ
第3章 パンツという名のパンツ
第4章 神経症という名のパンツ
第5章 法律という名のパンツ
第6章 道徳という名のパンツ
第7章 すべては「内なる知」によって決められるべきだ

著者等紹介

栗本慎一郎[クリモトシンイチロウ]
1941年(昭和16年)11月東京生まれ。慶応義塾大学大学院経済学研究科博士課程修了。天理大学専任講師、奈良県立短期大学(現奈良県立商科大学)助教授、ノースウエスタン大学客員教授を経て明治大学法学部教授。1999年脳梗塞に倒れるも、衆議院議員(二期)、経済企画政務次官、帝京大学法学部教授を経て、東京農業大学教授
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

haruaki

23
パンツを脱ぐためにパンツを履き続けるサル。そうしていく事でしか生きる事ができない。それは人間として生まれたから。この生命体の中に生まれたが故に生きていくための無意識の努力。過剰な生産は蕩尽するためのもの。死と繋がるエロスの存在。人としてのタブーの理由。ユーモアを交えたするすると読めてしまう文章の中に、ハッとさせられる著者の言説の数々。ある価値観を壊し、ある価値観を認め、また、ある価値観を見出していこうと思わせる、自分の内なる知の部分をくすぐられる本だった。2018/06/03

SOHSA

21
カッパブックスから刊行された81年の初版本は、当時、大学で栗本先生の授業を受けていたこともあって発刊と同時に読んだ。今回、約30年ぶりに新版「パンツをはいたサル」を読んだ。内容は旧版とほぼ同じで記憶に残っていたとおりであった。そのため第6章まではほぼ懐かしさに包まれながら昔を振り返りながらの読書だった。第7章はおそらく新版になって追加されたものだろうか(章の内容から或いは私自身の記憶に照らして)。聖俗二元に基づく社会の読み解きが中心であった旧版に加え(→)2013/07/07

白義

16
人はなぜパンツをはくのか?はいてたほうが、脱いだ時に開放感があるからである。なんて直球なテーゼからここまで広く話を広げることが出来るというのはなんとも凄い。セックス、という行為はどこか死に近いものがある。単なる生産や生存とは違う過剰を抱えた人間は、その過剰を破壊や蕩尽として処理することで快楽を得る。聖俗のギャップを利用した祭りや儀式がそうだし、性と死もまたそうした非日常的な聖の領域に至る道の一つ。バタイユ思想や経済人類学の知見を俗っぽい話題でわかりやすく説いていて当時のこの手の入門書のレベルの高さを知れる2017/07/30

おおにし

13
約30年ぶりに「パンツをはいたサル」を再読。この栗本氏の経済人類学と岸田秀氏の唯幻論が当時の私の価値観や歴史観に大きく影響を与えたことは間違いない。この本を読み返して改めてそう感じた。ポランニーの暗黙知もこの本では初めて知った言葉だが今ではビジネス書などに当たり前に登場している。ただし本来の暗黙知は社会の進化の根源にあるものをさしており、今使われているような軽い意味ではなかったことも再認識。2013/04/19

はな

12
グロテスクな記述があるが、面白い。 善悪二元論では、問題の解決にならない。ナチスの収容所図書室には、係員の教養のためゲーテがあり、音楽隊もあり、モーツァルトを演奏することもあった。 善と悪は明確に分けることはできない。 神経症について。未開社会の中で、近隣の部族の支配を受けたり、支配を受けていないまでも、他の文化との混ざり合いが起こった社会で発生している。 文化が混ざり合うと、そのなかで比較的弱い集団ができあがり、そこに属するメンバーが、いわば共同幻想に耐えられなくなる。 日本でもこの現象が起きている?2019/07/28

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