内容説明
障害福祉の「部外者」が、障害者でも利用者でも当事者でもなく「友だち」として彼らを捉えるまでに至った、その軌跡を綴った本。
目次
ただ、そこにいる人たち
「表現未満、」「表現以上」
福祉と誤配
マジックワードを超えて
親亡きあとの福祉
支援を離れて生まれる余白
オガちゃんの500円
親の決定、友人との合意形成
支援と「共事」
「いろいろな人たち」の中にぼくもいる
はじまりの言葉
体験としての障害と福祉
いっしょにいる、ともに流れる
「表現未満、」はなぜか社会に広がる
オガ台車は問いかける
文化センターが開く当事者「性」
散歩は地球を救う
「当事者モデル」と「共事者モデル」
受け継がれるゲップ
対談「福島」と「生涯」が出会うとき 小松理虔×久保田翠
著者等紹介
小松理虔[コマツリケン]
1979年いわき市小名浜生まれ。ローカルアクティビスト。地元のいわき市を拠点に、食、観光、文化芸術、福祉などさまざまな領域で、場づくり、執筆、メディア制作などを行っている。単著『新復興論』(ゲンロン)で第18回大佛次郎論壇賞。ライターとして関わる、いわき市の地域包括ケアの取り組み「igoku」で2019年グッドデザイン金賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
nbhd
14
豊かな本だ。著者の小松さんは、福祉施設に通う障害者を自分の愛娘と「同じような存在」として描き、福島の原発事故を「障害」のようなものと書く。一瞬「それってありなの?」と僕のぼんやりしたコンプラ感覚がザワつく。けど実際、そんな感覚が僕と当事者を遠ざけている。福祉施設への探訪を綴った小松さんのスタンスは「ヨソモノ」で「観光客」だ。当事者と接近するため、自分がもつ回路をつなげてみる。ときに、「当事者性」に土足で踏み込む、それで困ったりする。それが、ごく自然な状態になっていて素敵だった。ってか、僕もここ行きたいな。2020/12/24
るぴなす
2
たけぶんはまだ行ったことないけど。(ちま公には稀に行く)『障がい者』と関わる術をシャットアウト、見ようとしない社会は良くないと思うんだ。けど、たけぶんはその常識をぶっ壊そうとしている。「『障がい者』だからこう!」みたいな勝手なイメージは捨てよう。 壊れた常識から、新しいナニかが生まれて、それで誰かが救えたり、『らしく』生きられるなら、それは素晴らしいこと。2023/05/12
林克也
2
小松さんの物の見方感じ方と文章は好きだ。新復興論で大いに刺激を受けたが、この本でも、自分の長男に対して折々悶々と抱えてきたことへの大きなヒントをもらった。もちろんレッツの久保田翠さんあってこそ、ということであるが。 で、たけし文化センターに行ってみたい。浜松は10年ほど前に仕事で毎月のように行っていたことがあったし、ハーフマラソンも何回も走っているので、かなり身近に感じる。 2021/06/17
しゅんぺい(笑)
2
「表現未満、」っていうテーマがすごく素敵。表現にならないものをなんでもないこと、意味のないことと切り捨てずに、それがそのひと自身なんだと。誰もがそこにいるだけでいいし、スタッフも何もしなくていい、一緒にいることがいちばんの支援やって、めっちゃ共感する。ちょっといろいろあって飛び飛びで読んでもーたから、またちゃんと通読したい。2021/01/31
hahaha
1
静岡の障害福祉施設を訪れ、そこで出会う人や出来事を通して福祉のあり方を考えたもの。と書くと、堅苦しそうな、つまらなさそうな感じかするけど、本書が取り上げる福祉施設のユニークさから、どんどん読み進めることができる。施設の利用者がとにかく自由気ままにいられる空間で、タイトルの通り、安心してそこにいることができる。知的障害があるからと、あれもダメこれもダメと、健常者の都合で縛るのではなく、本人が快適に過ごせればいいという発想は凄くいいなと思った。健常者と障害者の距離の近さが印象的。そして僕もいつか訪れてみたい。2021/05/22