出版社内容情報
かつては「中東の宝石」と呼ばれながらも、17年に及ぶ内戦で徹底的に破壊されてしまったレバノン。現在少しずつかつての繁栄を取り戻しつつあるレバノンの激動の歴史を、古代から現在にいたるまで、元レバノン大使が自らの体験を織り交ぜながら明快に描く。
はじめに
第1章 フェニキア、ローマ、ビザンツ時代のレバノン
1 「フェニキア人の末裔」
2 ローマおよびビザンツ帝国とレバノン
3 ヴェネチアおよびジェノヴァとレバノン
第2章 イスラム諸王朝およびオスマン帝国下のレバノン
1 イスラム諸王朝とレバノン
2 オスマン帝国下のレバノン
3 レバノン特別自治地域の成立
第3章 レバノン共和国の成立と発展
1 フランス後見下のレバノン
2 レバノン共和国の発展と問題点
3 レバノン繁栄の曲がり角
第4章 パレスチナ問題とレバノンの混迷
1 第三次中東戦争とパレスチナ問題
2 カイロ協定とレバノンの混迷
3 内戦の前夜
第5章 レバノン内戦
1 内戦の始まり
2 シリア・パレスチナ戦争(一九七五年~一九七六年)
3 混迷を深める内戦(一九七六年~一九八二年)
4 イスラエルのレバノン侵攻(一九八二年~一九八五年)
5 シリアの再介入と内戦の終結(一九八五年~一九九〇年)
第6章 ターイフ体制(第二共和制)下のレバノン
1 ターイフ体制(第二共和制)のめざすもの
2 シーア派とヒズボラの躍進の意味するもの
第7章 今日のレバノン
1 ハリーリ首相の政治
2 ラフード大統領の時代
3 ハリーリ前首相暗殺とシリア軍の撤退
4 日本とレバノン
あとがき
参考文献
写真提供
レバノン史年表
索引
あとがき
レバノンとの最初の出会いは、筆者が一九六八年外務省に入省し、初めて配属された課において、レバノン勤務から帰国したばかりの上司から、レバノンがいかに良いところか話を聞いたときであった。地中海に面し、自然環境に恵まれ、四月から五月にかけては山でスキーをし、その日のうちに海では海水浴を楽しむことができる。また、中東では唯一、天然芝で一年中プレーできるゴルフ場もあれば、カジノもある。キリスト教徒とイスラム教徒が平和に共存し、生活や文化に西欧の良さとアラブの良さがあわせて存在している、など。そのとき写真で見せてもらったベイルートの瀟洒(しょうしゃ)な街並みの、まさにヨーロッパとアラブの様式をミックスしたような美しさに鮮明な印象が残り、将来ぜひ訪ねてみたいと思った。
それだけに、一九七五年からレバノン内戦が始まり、そのうち終わるだろうと思っていたがなかなか終わらず、新聞で伝えられるベイルートの破壊ぶりに心が痛んだ。
筆者が一九九八年初めにベイルートに赴任したとき、内戦が終了して八年が経ち、街の八割以上が復興していたが、イスラム教徒地区とキリスト教徒地区を隔てている「グリーン・ライン」といわれる道路の両側には、砲撃で崩れたり、砲弾、銃弾で穴だらけの建物が手つかずに残っており、内戦の破壊のすさまじさをうかがわせていた。
当時、内戦自体は終わっていたものの、イスラエルからの脅威は依然続いていた。筆者が勤務中の二年あまりの間、ほぼ毎日のようにイスラエルの戦闘機がベイルート上空に飛来し、衝撃音を残しては去っていった。本書でも触れたが、一九九八年六月のベイルート空爆では、日本大使館と大使公邸および館員宿舎のあるコンパウンドのすぐ近くの変電所や高速道路の橋梁がミサイルで破壊された。一晩中数時間おきに来襲するイスラエル空軍機の攻撃に一睡もできず、ひたすら夜の明けるのを待ったが、自ら恐怖を経験して初めて、レバノンの人々が何十年にもわたって耐えてきた不条理な苦しみを理解できた思いがした。
上記の空爆について、数日後目にした日本のN紙は「イスラエル、ヒズボラ基地を空爆」という見出しの記事で伝えていたが、イスラエルの一方的な発表を日本の一流紙がそのまま伝え、ほとんどの読者は報道の内容が事実であると認識してしまう。そして、同じことが日本以外の多くの国でも起こっている。
二〇〇一年の九・一一事件の衝撃的な光景をテレビで見たとき、同じような事件の再発を防ぐ最善の方法は、米国が中東問題に関するイスラエル寄りの政策を改め、パレスチナ人に正当な扱いを認めることであろうと思ったが、レバノンでの経験がなければ、気づかなかったであろう。
九・一一事件によって、レバノンにはそれまで米国にあったアラブ資金が流入して経済は大いに潤い、また、多くのアラブ人が再びレバノンを訪ねるようになり、観光立国としての活気を取り戻すことになった。また、それまで頻繁に米国との間を往復していたレバノン人たちが、米国への入国が難しくなりレバノンに腰を据えるようになった結果、自分たちはやはりレバノン人であるとの認識を強く持つことができたという。国際情勢に翻弄されながらも、災いを福に変えてきたレバノン人の面目躍如といったところである。
筆者の在勤中最大の懸案は、日本赤軍の岡本公三以下五名の日本への送還問題であった。送還交渉のため、ラフード大統領、ホッス首相、サイード公安総局長官、アドゥーン検事総長などの要人に頻繁に会う機会があり、レバノンの抱える諸問題について直接話を聞くことができた。また、本年二月に暗殺されたハリーリ前首相やハリーリ内閣の諸閣僚、ホッス内閣の諸閣僚、さらに宗教界、経済界、言論界、社交界などさまざまな分野において活躍している多数のレバノン人からもいろいろな機会に話を聞くことができ、多元社会レバノンの複雑な諸問題を少しずつ理解することができた。本書を書こうと思い立ったきっかけは、これらの貴重な機会によって得られた見聞をレバノンに関心を有する人々と共有したいという思いであった。
本書を執筆しながら、レバノンの宿命的ともいえる不安定さにもかかわらず、心優しいレバノンの人々が何とか安寧に無事な日々を送れるよう、何度も祈りを新たにした次第である。
本書を書くにあたって、多くの方々のお世話になった。とくに、筆者の取材のためのアポイントメント取り付けや資料収集にあたって尽力いただいたサマール・カッシャン氏、資料収集や種々の疑問、質問に的確に答えていただいたファリド・シャディド氏に感謝したい。また、大変多忙のなかを本書の内容をチェックしていただいた外務省の馬越正之様、中東第一課の皆さまに厚く御礼申し上げたい。なお、本文中の意見にかかわる部分は筆者個人のものであり、外務省の立場を表すものでは一切ないことを、とくに明記しておきたい。
二〇〇五年八月
堀口松城
目次
第1章 フェニキア、ローマ、ビザンツ時代のレバノン
第2章 イスラム諸王朝およびオスマン帝国下のレバノン
第3章 レバノン共和国の成立と発展
第4章 パレスチナ問題とレバノンの混迷
第5章 レバノン内戦
第6章 ターイフ体制(第二共和制)下のレバノン
第7章 今日のレバノン
著者等紹介
堀口松城[ホリグチマツシロ]
1943年、千葉県生まれ。東京大学教養学部卒業後、外務省に入省。エール大学大学院修了(M.A.)後、韓国大使館、中国大使館、OECD代表部勤務等を経て、外務省海洋法本部海洋課長、法務省入国管理局入国審査課長。その後、ミャンマー大公使、国連代表部公使、エジンバラ総領事を歴任し、1998年から2000年まで駐レバノン特命全権大使を務める。2003年から駐バングラデシュ特命全権大使(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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