出版社内容情報
認知症や終末期医療に長年携わってきた医師が、超高齢社会の生老病死に思索をめぐらす。悲喜こもごも、慰めにみちた人生賛歌。「老年期を歩むのは、海図のない海を行くのに似ている。
半世紀以上も前、舳先をそろえるようにして出航したのに、やがて別々に進路を変えて進むことになった。なぎの海、波頭が白く砕ける荒海を進み、赤い夕日が沈んだり、きらめく日輪が上るのをくり返し見ているうちに、かつての僚船が難破したり、沈没したりしたとの報が、ポツリポツリと届く」。
著者は1935年生まれ。公衆衛生学者として水俣病やエイズの研究、アラル海やブータンでの健康調査などを経て、国立環境研究所では地球環境の研究に携わる科学者たちを指導し、また内科臨床医として終末期医療や認知症に取り組んできた。
看取り医としての長年の経験を振り返りながら、みずからの老いへの自覚も踏まえて、人間の生老病死に思索をめぐらす。アルツハイマー型認知症は病気ではなく、老耄の現れである。認知症患者はがん疼痛を訴えない。生存の満足度は加齢とともに上昇する。わたしたちは「死んだらそれきり」ではない。老耄はおだやかに死ぬために自然が用意してくれた恵みである。
超高齢社会を迎えるにあたって指針にしたい知見の数々。悲喜こもごも、慰めにみちた人生賛歌である。
海図のない海
歩く愉しさ
無常と永遠
地域ケアの手
老耄ということ
認知症高齢者の判断能力
ハトとわたし
入院記――夕暮れの海の暗礁
気候変動――「ヒトの時代」に生きるとは
しょうべんたれ
国際協力のあり方――ダショー西岡の場合
水俣協立病院の看護師
つながりを求める心
意味の世界――認知症高齢者とドナルド・トランプ
「一人一宇宙」
臆病と用心――エイズの場合
懐かしい人
触らぬ医療、触れる医療
老年の愉しみ
老耄という恵み
あとがき
大井 玄[オオイゲン]
著・文・その他
内容説明
認知症は病気ではなく、老耄の現われ。老耄はおだやかに死ぬための自然の恵み。人間の生老病死を見つめてきた看取り医による、超高齢社会へ向けての人生賛歌。
目次
海図のない海
歩く愉しさ
無常と永遠
地域ケアの手
老耄ということ
認知症高齢者の判断能力
ハトとわたし
入院記―夕暮れの海の暗礁
気候変動―「ヒトの時代」に生きるとは
しょうべんたれ〔ほか〕
著者等紹介
大井玄[オオイゲン]
1935年生まれ。1963年、東京大学医学部卒業。1977年、ハーバード大学公衆衛生大学院修了。東京大学医学部教授などを務めたのち、1996‐2004年、国立環境研究所副所長、所長を経て、参与。2001年より、東京都立松沢病院医師(非常勤)。東京大学名誉教授、専門は、社会医学、一般内科、在宅医療、心療内科、環境医学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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