内容説明
白川静と梅原猛、奇の二人が語る。「呪の思想」。すべてが神に問われた。神はすべてに答えられた。神に卜(ぼく)する占。昔、むかし、三千三百年前のむかし、神々と人々が交通していた、時代のものがたり。
目次
対談1 卜文・金文―漢字の呪術(「白川静」の学問―異端の学から先端の学へ;『万葉集』と『詩経』―甲骨文と殷王朝;三つの文化―文身・子安貝・呪霊 ほか)
対談2 孔子―狂狷の人の行方(和辻哲郎の『孔子』―白川静の『孔子伝』;陽虎・孔子の師?―近くて遠い人;孟子・鄒衍・荀子・韓非子…―「斉」の国へ ほか)
対談3 詩経―興の精神(楽師集団と『詩経』―伝承された「風」「雅」「頌」;『詩経』の発想法・表現法―「賦・比・興」;「興」という漢字―両手で酒を注ぐ象 ほか)
著者等紹介
白川静[シラカワシズカ]
明治43年、福井県に生まれる。大正12年、尋常小学校卒業後、姉を頼り大阪に出る。翌年から、後に民政党代議士となる広瀬徳蔵の事務所に住み込みつつ、成器商業の夜間部に通う。広瀬の蔵書『国訳漢文大成』や漢詩集などを拾い読みする。昭和8年、立命館大学入学。この頃、呉大澂の『字説』を購読。昭和10年、立命館大学在籍のまま、立命館中学の教諭に就任。昭和19年、立命館大学予科教授、専門部教授、文学部助教授を経て、文学部教授となる。助教授時代、処女論文「卜辞の本質」を発表。以後、教授として中国文学史・甲骨金文学を講じる傍ら、精力的に執筆活動を展開。昭和59年より刊行された『字統』『字訓』『字通』(いずれも平凡社)のいわゆる「字書三部作」は「白川漢字学」を広く世に知らしめた。これらの研究の成果により、毎日出版文化賞特別賞、菊池寛賞、朝日賞、井上靖文化賞などを受賞。平成10年、文化功労者として顕彰。平成11年、勲二等瑞宝章受章
梅原猛[ウメハラタケシ]
大正14年、宮城県に生まれる。母・千代の死により、二歳にして愛知県の伯父夫妻の許へ引き取られる。昭和12年、浄土宗系の東海中学校入学。当時の名誉校長は、椎尾弁匡氏。昭和39年、NHKテレビ「仏像―かたちとこころ―」の総合司会を担当。この仕事によって「仏像という“かたち”の背後に、仏教思想という“こころ”を発見した」と自覚、以後仏教経典を読みあさる。昭和44年紛争中の立命館大学を辞職、浪人生活を送る。この間、角川書店を中心に、仏教の宗祖についての論考を発表。主著『隠された十字架』(新潮社/昭和47年)、『水底の歌』(同/昭和48年)は、宗教で学んだ美と情念が絡み合う特異な「梅原学」(怨霊史観)の誕生の成果である。六十歳の大病を契機に口述という語り下ろしの手法で、『日本冒険』(「野性時代」に二年八か月の連載)、『海人と天皇』(「朝日ジャーナル」に二年間連載)等の大作を世に問う。またフィールドワークを中心に据えた仕事、「京都もののかたり―地霊鎮魂」「京都遊行」を合わせて三年余、各々、読売新聞、京都新聞に連載。平成9年、日本ペンクラブ会長に就任。平成11年、文化勲章受章。
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