内容説明
外に向かう自由なエネルギーを封じられ、抑圧と束縛の中を生きた人々、禁教下のキリシタン、漂流民、流刑者、また身分制の重石を一身に受けた者ら、そしてその苦闘は、近代の幕開きとともに終わったのではなかった。
目次
第1章 禁制をおかす者
第2章 国を恋う人々
第3章 領国の民
第4章 身分制のくさり
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
きいち
34
漂流記がなぜ江戸期に急増するのか、の分析に唸る。鎖国で造船技術と航海術の進歩が止まり、外洋に出た瞬間に神頼みとなってしまうにもかかわらず経済成長で国内海運は急増、それで漂流しないほうが不思議、なるほど。技術は外部との交流がなければ停滞するしかないという冷徹な事実。そして、漂流記がみな商人なのは、廻船は米を積んでて長期の漂流に耐えるから。漁船は救出されてないだけ、と。◇ほかにこの巻は、切支丹・真宗の弾圧記、武家の女性たち、そして被差別部落など閉塞の歴史。◇近藤富蔵、野中婉、三閉伊一揆は単品でも十分読ませる。2015/08/30
藤月はな(灯れ松明の火)
17
久しぶりに父とサシで蕎麦を待つ間、出雲大社から水銀の中毒性や黒の映え方、日本の鉄砲製作と種子島への伝来のズレなどを語り合った後に父から「これも民俗学だ」と紹介されて読みました。強者のためである歴史の影で亡くなった人々が紹介されている。文化人類学の先生が話してくれた通りに今も秘して進行しているかくれキリシタン、日蓮宗不受不施派への恐怖、秀吉の全国統治によって生まれた郷士が百姓を蔑んでいたこと、今も続く士族コンプレックス、穢れ役を担ってしまったことで後も差別を受ける人々など太平の江戸時代に隠されたことを記す。2012/08/26
ndj.
12
鎖国時代のキリシタンが独自に豊かな信仰(異端と呼ばれてもおかしくないような)をもっていたことが興味深い。キリシタンだけでなく真宗すら異端であり排斥の対象であったことにも驚く。他に漂泊者となって遠く南米付近まで流された男の話、薩摩の士族気質、南部三閉伊郡の一揆(なんという重税!)部落問題等々を扱う。我が国のことをどうしてこんなに知らないのかと途方に暮れる。2018/03/30
tsuneki526
8
三巻目は鎖国の悲劇。この時代に作られた強固な差別意識は時代を超えて今でも存在していることに絶望的な気分になる。日本人の民族性はこのときに確立されたのだともいえる。しかし、それは世界に誇れるような代物でないことは確かである。そして今もなお犯罪には連帯責任を問い、ことあるごとに精神論を振りかざす前時代性に気付かないどころか時には肯定的であるところに社会や人間としての進歩を拒む日本人の本質を見てしまうのである。2023/04/16
CTC
8
シリーズ5巻中の3巻は[鎖国の悲劇]。ちとタイトルからは内容の想像がつかなかったが…鎖国によって「創意や工夫に富む者すら、犯罪者なみに危険視され」たり、民衆は「内へ内へと抑圧されていった」。「何百という藩がいわば一つの小さな鎖国状態にあった」。当巻は隠れキリシタンや漂流者だけでなく、各藩の身分制度や“賎民”を扱う。まぁ封建社会の理不尽さである。鎖国は国内の政情安定には一定の効果を齎したろうが…「鎖国の影は、いまなおわたしたちの国からその姿を消していないのである」。 読後感としは首肯せざるを得ない。2021/06/26