心理学化する社会―なぜ、トラウマと癒しが求められるのか

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  • サイズ B6判/ページ数 238p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784569630540
  • NDC分類 140.4
  • Cコード C0036

出版社内容情報

気鋭の精神科医による「サイコ・バブル」批判。

ココロ系用語が大衆化し、心理学者の発言力が増し、現代社会は「心理学化」していく。精神科医がその背景にあるものを鋭く分析する。

80年代以降、先進国では心理学的なものの見方や精神分析的な人間観が支配的になりつつある。「動機の不可解な犯罪」が起きると、マスメディアは精神科医や心理学者にコメントを求め、ワイドショーでも、PTSD、ADHD、人格障害といった心理学的語彙が無造作に飛び交う。カウンセラーが若者のあこがれの職業になり、大衆文化においてはトラウマ・フィクションや告白本が流行する。さらに、災害時や教育現場では「心のケア」や「カウンセリング・マインド」が叫ばれる。いまや、社会全体が「心理学化」しているのだ。

▼こうした現象に問題はないのだろうか。「心の理解」の美名のもとに踏みにじられるものはないのか。本書は精神科医である著者が、内側から「心理学化」の様相を眺めて遠因を探り、そのゆきすぎや退行に注意を促す目的で書かれた。そこから見えてくるものは、我々自身と現代社会が抱える根深い問題である。

●1章 表象されるトラウマ 
●2章 表象されるトラウマ 
●3章 精神医学におけるトラウマ・ムーブメント 
●4章 カウンセリング・ブームの功罪 
●5章 事件報道にかつぎ出される精神科医 
●6章 こころブームから脳ブームへ? 
●終章 「心理学化」はいかにして起こったか

内容説明

事件報道にかつぎ出される精神科医たち、トラウマに席巻された映画・小説・音楽、ACブーム、そしてカウンセリング・ブーム。この潮流はどこへ向かうのか?“こころ”の理解の美名のもとに踏みにじられるもの―。

目次

表象されるトラウマ(書籍・音楽編;ハリウッド映画編)
精神医学におけるトラウマ・ムーブメント―PTSD、多重人格、ACにおける濫用
カウンセリング・ブームの功罪―来談者中心の弊害、そして心のマーケット
事件報道にかつぎ出される精神科医―「不可解な犯罪」を物語化する欲望
こころブームから脳ブームへ?―「汎脳主義」への批判
「心理学化」はいかにして起こったか―ポストモダン、可視化、そして権力
巻末対談「社会の心理学化」がもたらしたもの(宮崎哲弥VS斎藤環)

著者等紹介

斎藤環[サイトウタマキ]
1961年、岩手県生まれ。筑波大学医学専門群(環境生態学)卒業。医学博士。現在は爽風会佐々木病院に勤務。精神科医。専門は思春期・青年期の精神医学及び病跡学
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

ルアット

3
「精神医学と心理学は外から見ているとよく似ているように見えるが、内実は全然違う」といいながら、結果的に違いは、医師免許の有無くらいだとか、現在では、境界が曖昧になってきているとか言っていて、大丈夫なのだろうかという感じで疑りながら最初のほうは読んでいたが、読み進むにつれて面白くなってきた。カウンセリングは、治療者と患者の対等なやり取りと見せかけて、実は、カウンセラーの上の立場からの管理であるといい、納得のいくような説明もされている。ほかにも、いままで思ったこともないような視点からの批判が新鮮で面白かった2011/03/17

TsumuRi

1
現実社会の様々な現象を「トラウマ」「癒し」のキーワードから読み解く試み。門外漢の私には小難しい部分もあったが「トラウマ」や「現実」などの概念の捉え直しとして面白かった。少年事件報道に対する見方はシニカルにして痛快だと思う。様々な物語にトラウマ語りがしばしばあらわれるのは、そこからの回復と成長の物語が受け手に手軽なカタルシスをもたらすからではないかと思う。現実じゃトラウマとも呼べない程度の引っ掛かりを克服するのも大変だし、ガチのトラウマなら激痛を伴うわけで「癒し」とかヌルいこと言ってられないっつか。2010/06/16

readtuktuk

1
難しかった。2008/09/07

むじな

0
「精神分析」を「ケースワーク」に置き換えてみると、社会学・社会福祉学領域における議論にも似た文脈が浮かび上がります。[「社会の心理学化」とは、実はまさに「精神分析のシステム論的応用」のような現象のことではないだろうか。(中略)たとえば「欲望は他者の欲望である」という精神分析的テーゼがある。(中略)ちなみに、このテーゼをシステム論的に言い換えると「みんなが持ってるから私も」というファッションの原理になる。それゆえ、この種の欲望を分析するなら、やはり精神分析的意匠をほどこすほかはない。]2016/09/11

未読太郎

0
中学時代は斉藤環を耽読した。大学に行ったら、心理学を学びたいと思っていた。高校に入ってその気持ちは変わっていったが、氏の影響は色濃く今も残っている。彼がよく論じるサブカルチャーもその一つだ。のちに大学で映画を作り、新卒でゲーム開発会社に就職したのだから。私は映画もあまり見ないしゲームもほとんどしなかった(エロゲはした)。そういったものが好きな人たちとはバックグラウンドが異なっていた。2015/02/07

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