白水Uブックス<br> 僕が戦場で死んだら

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白水Uブックス
僕が戦場で死んだら

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  • サイズ B40判/ページ数 255p/高さ 18cm
  • 商品コード 9784560071069
  • NDC分類 933
  • Cコード C0297

出版社内容情報

 アメリカ兵の誰一人として、自分たちが何のために戦っているのかわからなかった戦争――ヴェトナム戦争の性格と、それが兵士たちに及ぼした「効果」を痛みと情熱をこめて描くこの小説は、「ヴェトナム体験」が生んだ最良の作品であり、『カチアートを追跡して』の著者の鮮烈な処女作である。

内容説明

1968年夏、僕は二十二歳でヴェトナムへ行った。炎暑と泥濘の中、僕らは狙撃兵の影に怯えながら行軍した。「死」は常に僕らの隣にあった…。

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

スー

21
100プラトンが好きな哲学青年のティム・オブライエンは徴兵通知受け取ってから帰還するまでの日記。この本はとてもリアルなのになんだか大したことじゃないよくある事だよと言われている気になる本でした。ベトナム兵の耳を集める兵士、ポンチョにくるまれる仲間の死体、バラバラになった仲間の遺体の回収、地雷で手足を吹き飛ばされ苦しむ仲間、味方の装甲車に潰された死体、村の焼き討ち泣き叫ぶ村人、基地が襲撃されても酔っ払っている米兵何もかもこの狂った世界ではただの日常とこちらまで一緒に麻痺していく感覚、本当に恐ろしく感じました2019/07/06

taiju

12
自身の従軍体験をもとに、前線と後方での様子が描かれている。彼の部隊は、「ソン・ミ村事件」に関わった部隊であり、彼は事件後に通信兵として部隊に加わる。戦場の様子が淡々と語られ、目を背けたくなるような描写もあり、臨場感が溢れている。ただ、ギリシャ哲学の話が彼の研究の主眼であることは理解できたのだが、物語を少なからず冗長にしている感じもある。彼は米軍撤退の3年前に従軍を終えているため、戦争末期の様子が描かれていないのも少し物足りないかもしれない。バオ・ニンとは逆の侵略者の立場といった対比も興味深いかもしれない。2019/03/17

Ecriture

12
プラトンを読みこなす哲学青年も、同調圧力や世間体に負けてベトナムへ随行する。彼は従軍前にスウェーデンへ渡るヨッサリアンにはなれなかった。地雷原での行軍では一足一足の死を気にかけすぎては進めない。仲間の死、家族からの手紙など様々な情報が短文で羅列される文体は、あらゆる感覚の麻痺した「軽い足取り」そのもの。「死体は重い」。『キャッチ-22』同様、人間はモノだという事実に触れている。戦地での黒人差別問題や仲間を犠牲にしても後方で傍観者になりたいという欲は、ヴォネガットの"So it goes."への反論だ。2013/02/06

sabosashi

10
当時の米国人にとっては徴兵忌避のためには少なからぬ手が存在したので主人公もずいぶんと逡巡する。奇しくも戦場に立ち会うことになったがそれは肉体的にも知的にも行き詰まりであったという。しかし終始、なぜ戦場に来てしまったのか自問自答の連続であり、来てしまったことの疚しさにもとらわれただろう。しかもそれはしばしば恐怖によって中断されたかもしれない。勇気の意味について堂々巡りをするが、それひとつだけをとっても米国政府を相対化できたはず。作者に丸谷才一の「笹まくら」を読ませたいところ。ナチの悪は問われるのに米国の?2014/01/21

スミス市松

9
最初は戦争手記のような文体が読みづらくて感情移入できなかったが、しばらく読んでいるといつの間にか自分がアルファ中隊の一員として行軍していることに気づく。太陽で火傷した腕と首回り。黴だらけの身体。毎日20kgの背嚢を背負い歩き続け、生身で明日を向かえるために塹壕を掘り、深夜は迫撃砲の爆音に肺が凍り付く。それは巨大なメタファーであり、僕らの日常生活はまるでヴェトナム戦争に置き換えられてしまう。そうさせるだけの相似現象が物語と僕らの間に生じてしまっているのだ。ティム・オブライエンは、まさにそこを抉り出している。2009/11/18

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