目次
第1章 教育の根本からの改革
第2章 「政教混一」の歴史(政治・政事・教育;「政教混一」の現実;「人間」と「国家」の比重;人間観と国家観)
第3章 「善さ」という問題(教育の根本問題としての「善さ」;「善さ」と人間の「進化」;理法としての「善さ」)
第4章 民主主義の理念と教育(教育的人間像―「善く」生きようとする人間;「ねむの木村」と教育のユートピア;民主主義的教育像)
著者等紹介
村井実[ムライミノル]
1922年佐賀県に生まれる。1944年広島高等師範学校を経て、広島文理科大学(教育学専攻)卒業。1947年‐1991年慶応義塾大学その他において教育学を講じる。この間、ハーヴァード大学、チュービンゲン大学、ケルン大学、プリンストン高等研究所に招かれ、哲学、思想史、教育史等の研究を行う。(文学博士)。学会での活動―教育哲学会会長、日本通信教育学会会長、日本学術会議(第十五期)会員等。慶応義塾大学名誉教授
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感想・レビュー
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鵜殿篤
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教育の政治からの独立という事案は、もちろん特に村井実が言い始めたわけではなく、定期的に繰り返される提案である。それだけ切実な提案ということでもある。しかし時代は教育権の独立からは逆行し、たとえば教育基本法改正に伴う地教行法の改正によって教育委員会の権限が変更され、教育はますます政治に従属するようになってきている。教育再生路線なんかは、露骨に政治が教育をコントロールしているわけで。現実は、村井実が主張する教育の理想からますます離れているようだ。2017/08/31
shishi
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[A-]2008/05/27
mokohei
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p54-55あたりの話を読み解くと、『人間性』に対する絶対的な信頼(そしてこれはやはり唯物論の影響が強い)が、子どもも「善く」生きようとしているはずだという確信に変わっている。日本の教育学の思想にこの不可解な確信の傾向がこびりついているように見えるのも、同じ理由じゃないかと思えてきた。2023/08/01