内容説明
「勝手にしやがれ」から「気狂いピエロ」まで。映画史と自分史を独自のやり方でふりかえり、ときには、独特の鋭い皮肉とラジカルな発想によって挑発したりしながら、究極的には、映画というシステムに多くの穴をうがとうとしている。
目次
第一の旅(堕ちた天使(オットー・プレミンジャー)
勝手にしやがれ(ジャン=リュック・ゴダール) ほか)
第二の旅(女優ナナ(ジャン・ルノワール)
裁かるるジャンヌ(カール・テホ・ドライヤー) ほか)
第三の旅(ファウスト(フリードリッヒ・ヴィルヘルム・ムルナウ)
無頼の谷(フリッツ・ラング) ほか)
第四の旅(サンライズ(フリードリッヒ・ヴィルヘルム・ムルナウ)
暗黒街の弾痕(フリッツ・ラング) ほか)
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ルンブマ
3
部分的に記憶を消すこと。記憶自体ができるということ。前者は短期記憶。後者は長期記憶。 ドゥルーズ +ガタリは、「リゾームタイプの短い記憶/樹木状に中心化された長い記憶」という対比について、 "短い記憶はリゾーム・タイプ、ダイアグラム・タイプであるのに対し、長い記憶は樹木状であり、中心化されている。…短き想念の光輝ー人がものを書くのは短い記憶によってなのだ、たとえ長い概念の記憶によって読みかつ読みかえすにしても。短い記憶は忘却を過程として含んでいる。2019/11/11
桜井晴也
3
「連中にとっては、人生はスクリーンにはなるべく登場させないよう努めるべきものなのです。しかも連中は、そう努めることを素晴らしいことと思っているのです。映画はどれもみな、どんな人の一日の生活よりも想像力に欠けています。ところが、それを見る人たちは、二ドル払わされたうえになお、その映画は自分の人生よりずっと素晴らしいと思いこまされているのです。」2013/03/21
桜井晴也
1
「プロの映画作家はどうかと言うと、連中は二つのカットどころか、八百のカットを次々につないでゆきます。でも、ほぼ間違いないこととして言うのですが、(今の映画ではとりわけ)その八百のカットはどれもみな同じものなのです。それらは、八百のカットに増殖された、ただひとつのカットなのです。だから、いろんな俳優をつかって……あるいはまた、映画の題名をかえたりするわけです。いつも同じ題名であれば、人々が見にこなくなるからです。」2012/04/04
メルセ・ひすい
1
蔵書 既読書2010/01/01
桜井晴也
0
「私の映画がどれも、ばかでかい興行的成功をおさめるまでには至らなかったのは、こうしたことのためです。私は人々を熱狂させようとするのではなく、人々になにかを聞かせたり、なにかを見させたりしようとしているのです。」2011/06/13