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江藤淳と少女フェミニズム的戦後―サブカルチャー文学論序章

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  • サイズ B6判/ページ数 219p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784480823472
  • NDC分類 910.268
  • Cコード C0095

内容説明

母を崩さない小説を探した少年は、けれども妻を崩さなければならなかった。母と妻に拘泥し続けた批評家、江藤淳が妻を殴打したのは何故なのか。「仮構の私」「仮構の日本」を求めてやまなかった批評家の困難さに寄り添うべく書かれた最も新しい江藤淳論。

目次

序章 犬猫に根差した思想
第1章 サブカルチャー文学論・江藤淳編(「ツルリとしたもの」と妻の崩壊;「母を崩壊させない小説」を探した少年のために;江藤淳と少女フェミニズム的戦後)
第2章 江藤淳と来歴否認の人々(三島由紀夫とサブカルチャーとしての日本;手塚治虫と非リアリズム的「日本語」の可能性;江藤淳と来歴否認の人々;柳田国男と「家」への忸怩;村上春樹と村上龍の「私」語りをめぐって)
終章 「歴史」と「私」の軋む場所から

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

harass

71
同著者の「サブカルチャー文学論」と前後して書かれていた論をまとめ加筆したもの。評論家江藤淳自身と戦後日本と国の関わりを考察。文学論と重なる部分が多いが、違う項目もある。論壇で発言していた時期の著者で、戦後日本についての考えはあまり興味がないせいで、読み飛ばすところが多かった。正直、飛躍か思い込みが激しいのか、ついていけないところがいくつかあったのは確か。批評本としてこういうのでいいのかと疑問に感じる。まあ他のよりマシな批評家なのだが。文芸批評としてはW村上の歴史観についてなどは面白く読めた。2018/09/14

内島菫

32
個人と歴史のかかわりにサブカルチャーというツールで切り込む著者が、その角度から見た江藤淳や三島由紀夫、手塚治虫、柳田國男、村上春樹、村上龍は(私は手塚をそれなりに三島を少し読んだ程度なのだが)、興味深かった。が、それはあくまで対象となっている人物たちの個に根ざした社会や歴史との関わり方を、著者の個があぶりだして見せてくれる範囲内においてであり、同じ節の中でも、一方では全く頭に入ってこない箇所もあった。2017/02/13

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