内容説明
93年、東大に移ってきた上野先生は驚いた。なんて素直な、課題を効率よくこなす学生なんだ、と。そして怒り心頭に発した。レポートがどれも講義の要約だったからだ。…「国民」を育てる近代装置である学校。変革の時代にこのシステムの弊害は大きい。知識よりも知恵があり、どんな状況にもサバイバルできる能力を備えた人間を育てるにはどうしたらいいのか。実践的マニフェスト。
目次
1 東大生、この空洞のエリートたち
2 学校に侵食される社会
3 少女・母・OLたちの学校トラウマ
4 学校は授業で勝負せよ
5 授業で生存戦略、教えます
6 上野千鶴子の楽屋裏
7 ポストモダンの生き方探し
著者等紹介
上野千鶴子[ウエノチズコ]
1948年富山県生まれ。東京大学教授。82年『セクシィ・ギャルの大研究』出版以後、常にフェミニズムの立場から社会に発言し続け、また論壇をリードしてきた。94年『近代家族の成立と終焉』でサントリー学芸賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ヴェネツィア
251
本書で上野氏は、学校及びその成果である教育が単一の価値基準において計られ(つまり、分かりやすく言えば偏差値と東大を頂点とする大学間ヒエラルキーだ)、それが近代社会(もはや国家の枠組みを超えていると思われる)における支配・被支配の構造を固定化し、さらには被支配者層にそのことを納得させる「装置」だと喝破する。また、それは「敗者の不満、勝者の不安」を強いるシステムだと言う。いつもながら、なんとも切れ味のいい分析だ。基本的には若者たちに向けて語られているのだが、さて学生諸君は、この問いかけにどう向かい合うのか。2015/09/20
おたま
48
上野千鶴子が東大の先生として赴任して、そこで「学校化社会」について考えたことをまとめた本。東大生を「偏差値高いだけの普通の子」と見破り、評価され期待されることに怯えていると捉える。その根底にある学校的価値は「明日のために今日のがまんをするという「未来志向」と「ガンバリズム」、そして「偏差値一元主義」です。だから学校はつまらないところです」と喝破する。学校的な価値が社会に浸透し、その価値で評価していく「学校化社会」。上野千鶴子は、そのような学校化社会からいかにしたら脱出できるかを模索する。2023/07/29
ゆう。
42
今日の日本社会が偏差値主義的な物差しで人々をはかっていることについて上野千鶴子らしい直球勝負で疑問を投げかけてきます。その学校化社会への批判は学ぶべきものもありました。また上野千鶴子自身の生い立ちも述べられていることは興味深かったです。ただし大きな疑問も。ポストモダンに対する無批判ぶりと構造改革路線の淡い希望は、今がよければそれでよいとする価値観におぼれ、上野千鶴子が批判する新自由主義に足元をすくわれると思いました。この本の学校化社会批判の限界もそうしたところにあると思います。2019/01/10
コウ
9
上司からの借り本。(課題図書だったそう)単行本として出たのが2002年のようだが、2018年になっても、教育や職場(労働)の環境はあまり変わらないなぁ、という印象。学校が生む価値観の話題が面白かった。己のモノサシはすべて世間に埋め込まれた価値観かもしれない。私は勉強は苦手だったけれど、それでも「優等生」でいられた。多分、学校という社会で要領よく生きられたおかげだろう。環境によって求められる人物像に適応できる能力がほんとうの賢さだとしたら、その人生は果たして面白いのだろうか?という問いかけをしてくれる一冊。2018/11/09
Maki Uechi
8
★★★☆☆ 相変わらず切れ味鋭い上野節が炸裂しています。【人と違っていてもいい】【自分が気持ちいいと思えることを自分自身で探し出し手に入れる能力を身につけること】【他者によって押し付けられた価値観に拘束されることなく、自分自身の人生を充分に生きること】「私からのメッセ-ジはこれにつきる」という上野さんに同意です!あたしも人と違うということを「それはおもしろいね」と、手を持って引っ張りあげられる人でありたいと思います。@以外とサックリ読めた。2015/03/06