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ちくま文庫
文学部をめぐる病い―教養主義・ナチス・旧制高校

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  • サイズ 文庫判/ページ数 408,/高さ 15cm
  • 商品コード 9784480422156
  • NDC分類 940.4
  • Cコード C0110

内容説明

戦時中はナチスにコミットし、戦後はヘッセの「よき理解者」として活躍する独文学者。しかし、それは決して“変節”などではない。“一流”を断念した、エリート=“二流”たちの誠実な仕事ではあったのだ。豊富な引用と、愛情(皮肉?)たっぷりの註釈を満載して「文学」ではなく「文学部」のメンタリティを鮮やかに浮かび上がらせる。ますます大衆化する現代日本の中で、内なる“二流”を抱えたすべての人にささげる哀感コメディ。

目次

自覚症状―まず、何が問題なのか
病歴―大政翼賛会文化部と第一高等学校
病源―さらば、東京帝国大学
自己診断―高学歴者の悲哀
症例―学校小説としての『ビルマの竪琴』
伝説―『車輪の下』、あるいは男の証明
余病―中野孝次、カフカから清貧へ

著者等紹介

高田里惠子[タカダリエコ]
1958年神奈川県生まれ。東京大学大学院博士課程(ドイツ文学専攻)単位取得退学。桃山学院大学教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

harass

42
日本のドイツ文学者たちを中心に、『文学部』という制度と日本のエリート知識人たちを辛辣に論じる。旧制高校教養主義のことなどに個人的に興味があり非常に面白く読めた。無節操で無邪気な西洋崇拝の学者知識人たちへの言及は、自分たち読書人にも苦い話だ。非常に多くのトピックがのっているのでレビューで簡単にまとめるのが難しい。  引用が非常に多く少し散漫かと感じるところがあるが個人的に感じていた部分を解きほぐしてくれて一気に読めた。著者の意地悪な視点と言い回しはなかなか面白い。2016/02/05

ふるい

10
大変面白かった。旧制一高→東大独文科という"文学者"のエリートコースを辿った男たちの奇妙に捻れた(そして無邪気な)特権意識が、ナチス文化の受容や戦後の彼らの取ってつけたようなヒューマニスト的態度に対する糾弾などのグロテスクな事態を生み出してきた。彼らは自ら創作する〈一流〉の文学者になるほどの才能に欠けていることに一貫して自覚的であり、翻訳やエッセイの仕事をひたすらこなす〈二流〉であり続ける自分と葛藤したのち、文学部におけるアウトサイダーである自分を確立することによって、凡庸なエリートから自らを差別化する。2020/03/04

_udoppi_

7
「勉強ができるだけの受験の勝者達」が、大衆との線引きのために拵えた「旧制高校的教養主義」は、(自覚の有無に関らず)自らを「文学者」として位置付け反主流を自負する、高学歴者の高学歴者批判という定型のパターンを生み出した。色々な読み方ができるだろうが、本書は、高学歴であるがゆえに只の高学歴ではいられない高学歴者たちの、優越感と劣等感、嫉妬と羨望、一高的同性愛的一体感と女性嫌悪なと、自意識の歪みに揺れる物語…だと自分は思った。こうした価値観は東大のイカ東嫌悪や早大(?)の中退一流などの形で残っている。2011/03/13

ラウリスタ~

6
自分も文学部仏文科ということでとても人事とは思えません。東大独文科という社会的には一流のものだからこそ見えてしまう一流とのどうしようもない差。二流とは三流よりも、一流の背中が見えている分、はるかにつらいもの。どんな仕事でもそうでしょうが、自分がしなかったら違う人が代わりにできるって気づいたとき、それでも人生に意義を見出せるか?2010/02/12

5
「旧制高校的なもの」については世代的な隔たりがあるので戯画化されたイメージのようなものしか持ち合わせていないけれど、他人事とは思えない箇所が結構あった。 勉強ができる人間が集まると、反優等生主義的な気風が生じる。安全圏(エリートコース)にいつつもアウトサイダーを標榜することのみっともなさ。旧制高校という猶予期間はそのような二枚舌的学生を大量生産したらしい。二流であるがゆえにいつまでも二枚舌の態度を捨て切れなかったものたち。素直に自分を誇る心持ちがあればまた話は違ったかも。教養主義というものの捻れを感じた。2016/09/18

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