内容説明
世界の内に生きて「ある」とはどういうことなのか。20世紀哲学の開拓者たちが深めてきたこの問いを、レヴィナスは捕虜収容所というギリギリの状況下にあって出発点から問い直した。フッサールやハイデガーの思想にいち早く透徹した理解を示しつつも、つねに批判的な参照項として、ギリシャ以来の合理主義と手を切った地点から新たな展望を開いてみせる。非人称的な「ある」ことが、「私」として「実詞化」され、糧を求め、他者に出会い、夜一人目醒め、芸術や神に関わる…。レヴィナス初期の主著にして、アウシュヴィッツ以後の哲学的思索の極北を示す記念碑的著作。存在は「悪」なのか―。
目次
実存との関係と瞬間(実存との関係;疲労と瞬間)
世界(志向;光)
世界なき実存(異郷性;実存者なき実存)
実詞化(不眠;定位;時間へ)
著者等紹介
レヴィナス,エマニュエル[レヴィナス,エマニュエル][L´evinas,Emmanuel]
1906年リトアニア生まれのユダヤ人哲学者。フッサールとハイデガーに現象学を学び、フランスに帰化。第二次世界大戦に志願するがドイツの捕虜収容所に囚われて4年を過ごし、帰還後、ユダヤ人を襲った災厄を知る。戦後、ソルボンヌ大学等で教鞭をとる。95年歿
西谷修[ニシタニオサム]
1950年愛知県生まれ。東京外国語大学教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
しゅん
19
フランス語で〈ある〉を表す非人称の表現〈il y a〉をキータームに、存在者なき存在について思考する。「怠惰」や「疲労」など日常的な言葉が並ぶが、そこには第二次世界大戦中ドイツの捕虜収容所に囚われたユダヤ人レヴィナスの経験が根付いていた。主体性と名前を奪われ、「私」という人称なき、知の光なき完全な「夜」の時間が訪れるーーホロコーストの被害者が自らの体験を語れないのは、そこに「私」が存在していなかったからだ。徹底的に非人間的な体験から、存在そのものに内在する「悪」を抽象的に導く言葉の強靭さに震えた。2017/08/24
塩崎ツトム
18
難しすぎて電車の中で読んでいる途中で何度も居眠りしてしまった。それはそれとして、「存在する」ということを無条件に善とする西洋的発展史観に突きつける「ノン」の意志は強烈。生きていることが苦しいのは完璧な存在から遠いからではなくて、存在ということ自体がどうしようもなく最悪なことだからであり、だから疲労から回復して、完璧な状態に近いはずの、朝の蒲団から抜け出す事がここまで億劫なのである。そして闇は「虚空」だから恐ろしいのではなく、「ある」の塊だからこそ恐ろしいのだ。(つづく)2024/04/05
koji
16
「善の研究」に触発され、本棚に仕舞い込んでいた本書を手に取ったのが10日前。長く苦しい読書でした。脚注も解説も内田樹レヴィナス論も読みましたがストンと落ちません。何度も呻吟しているうち、虐待死や不条理な交通事故死をニュースで見て考えているうち腹落ちしました。レヴィナスは本書で人間の運命の真の問題を語っています。馴染み、習慣的な世界が、突然異様な理解不能な状況になる瞬間、これを「実在者、定位、実詞、志向、糧」等緻密に定義された言語で精密に分析し、そこから先どう生きるかを私達に突きつけています。嗚呼!恐るべし2019/05/15
∃.狂茶党
15
語られてることは、わかりづらいのですが、読み進めることが難しい本ではない。 何故か、統一教会の合同結婚式と、芸能界のセクハラパワハラ並びに隠蔽体質が脳裏に浮かんでくる。 怠惰という強い力。 ”努力は疲労の上に崩れ落ちるのだ” 怠惰についての言葉もそうだが、レヴィナスの言葉は切れ味が鋭い。 ラップバトルでいうところのパンチライン。 恐怖についての文章は、関心領域でもあり、もうちょっと長めの文章を読みたい。これは喪失ではなく世界に触れることの恐怖を取り上げているのではないか。 2023/05/20
Bartleby
12
この本だけでレヴィナスの哲学の全体像を掴むことは難しいけども、彼の哲学が纏う雰囲気を感じ取るのには適している。前回読んだ時は不眠や怠惰、疲労などの概念にばかり目が行っていた。今回は、実用性から切り離されることでむき出しになる「物質性」に関する記述が印象に残る。「存在の物質性の発見は新たな質の発見ではなく、存在の不定形のうごめきの発見なのである」。2015/03/04