内容説明
ミシェル・フーコーをして「今世紀で最も重要な思想家のひとり」と言わしめたジョルジュ・バタイユは、思想、文学、芸術、政治学、社会学、経済学、人類学等で、超人的な思索活動を展開したが、本書はその全てに通底・横断する普遍的な“宗教的なるもの”の根源的核心の考察を試みる。その視線が貫いていく先にある宗教の“理論”は、あくまで論理的な必然性まで突き詰められたものであり、矛盾に満ちた存在“人間”の本質を、圧倒的な深みをもって露呈させる。バタイユ死後に刊行された、必読のテクスト。
目次
第1部 基本的資料(動物性;人間性と俗なる世界の形成;供犠、祝祭および聖なる世界の諸原則)
第2部 理性の限界内における宗教―軍事秩序から産業発展へ(軍事秩序;二元論とモラル;媒介作用;産業の飛躍的発展)
著者等紹介
バタイユ,ジョルジュ[バタイユ,ジョルジュ][Bataille,Georges]
1897‐1962年。フランス、ビヨン生まれ。1935年極左知識人を結集して「コントル‐アタック」を結成。1936年、カイヨワ、レリスと社会学研究会を創設。1946年、「クリティク」を創刊
湯浅博雄[ユアサヒロオ]
1947年生まれ。東京大学大学院博士課程修了。現在、東京大学教授。専攻、フランス思想・文学
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感想・レビュー
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やいっち
61
不毛と無意味との塊。それが我が人生なのだとしたら、消尽と蕩尽以外にこの世に何があるだろうか。 そんなささやかな空想に一時期でも耽らせてくれたバタイユに感謝なのである。 (中略) 本書『宗教の理論』に描き綴られているのは、論理というより、蕩尽へ向けての誘惑の叫びのように感じられる。だからといって、小生が、『宗教の理論』を読まなかったといえば、やはり言い訳になるのだろうが。 続く: http://atky.cocolog-nifty.com/manyo/2005/12/post_55b4.html 2005/12/10
ラウリスタ~
11
とっくに読んだと思ってほったらかしにしていたら、最後の解題のところでずっと積読状態になっていたようだ。そのため、感想はほとんど書けない。とはいえ、いくつか言えることはある。バタイユなのに、モースを読んでいるような錯覚を感じる。それとバタイユ自身の文章はむしろ分かりやすいのにも拘らず、訳者の解題があまりにも読みにくい。時代背景だとか、どのような思想的文脈に位置づけるべきかとかいろいろ盛り込みたいんだろうが、なんか訳文を読んでいるような読みにくさだった。途中まで読みにくい訳だなと思って読んでいた部分が・・・2013/09/05
ゲニウスロキ皇子
11
人間は、世界から阻害されている。それを特徴付けるのは、道具と言語の使用である。人間は道具と言語を利用することで、世界をまさに対象化して分節化する。この道具立てにより人間は、動物のような世界内的存在、すなわち個体と世界との連続性が保たれている存在から分離していく契機を得た。そう言った意味で、人間は世界外的存在である。その人間が世界との連続性を取り戻すためには?バタイユは、生産物や生命の「消尽」という概念をキーに、人間のこの不可能な企てについて分析していく。人間と世界とのつながりを考えたい人にはオススメの本で2013/03/03
しゅん
7
『呪われた部分』とほぼ同時期に書かれている(1948年)。「動物は水の中の水のように生きている」というフレーズが焼きつくが、バタイユは常に分け隔てた秩序との対比としての連続性を描いていて、それがエロティシズムとなり聖なるものとなり〈夜〉となる。彼のビブリオグラフィーが錯綜していて、内容が被ってる書物が沢山あるのも連続性への希求故か。2020/04/04
ぜっとん
5
翻訳がだいぶ読みづらかったが、内容としてはそれほどわからないことは言っていないだろう。翻訳としてひどいのは、「ということ」、が二度重なっていてどちらを主語にとっていいのかわからなかったりするブロークンジャパニーズなんかが筆頭だが、そこはそれ。戦略的な二項対立として瞬間=暴発する暴力、目的=事物における秩序、という線引きの間を行ったり来たりしながら階段を上っていくようなストーリーで宗教論をする。これは面白かった。2015/01/07