内容説明
プリズメン(さまざまなプリズム)とは、未来からの微弱な光を感じとる鋭敏な精神の探査器を暗示するのか。エッセイという形式を武器に、現実の核心に迫る独自の哲学的思索を展開したアドルノの最初の自撰論集。「アウシュヴィッツ以後、詩を書くことは野蛮である」という命題を含む「文化批判と社会」に始まり、シェーンベルク、ベンヤミン、カフカへと深まる12のエッセイは、文化的しつらえによる権力の大衆威嚇、それに対する知識人の石のような沈黙のもと、果てしなく進行する「絶対的物象化」の時代の文化現象を鋭く追求する。本邦初訳の「オルダス・ハックスリーとユートピア」「ゲオルゲとホーフマンスタール」を加え、完全新訳で贈る。
目次
1 文化批判と社会
2 知識社会学の意識
3 「没落」後のシュペングラー
4 ヴェブレンの文化攻撃
5 オルダス・ハックスリーとユートピア
6 時間のない流行
7 バッハをその愛好者たちから守る
8 アルノルト・シェーンベルク一八七四‐一九五一年
9 ヴァレリー プルースト 美術館
10 ゲオルゲとホーフマンスタール
11 ベンヤミンの特徴を描く
12 カフカおぼえ書き
1 ~ 1件/全1件
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
livre_film2020
45
途中で挫折。私には難しすぎた。無批判で詩(文学作品の喩え?)を書くのは何も考えていないのと同じで野蛮な行為と言いたかったのだろうか。二つの大戦により大きく考え方が変わって然るべきはずなのに、何の批判もないのは変だということなのだろうか。わからない。。。2022/12/04
しゅん
17
「アウシュヴィッツ以降、詩を書くことは野蛮である」の一文はこのエセー集に収まっている。12の論評は、すべてこの惹句のバリエーションだろう。病んでいる社会で、健康の回復を善として喧伝するのではなく、病むこと自体の中から希みを聞き取ること。『すばらしき新世界』や『西洋の没落』に対するアドルノの態度は、健康体を賛美したナチとの相剋によって生まれる。論争的な文が並ぶ中で、シェーンベルグとベンヤミンに対する賛辞が際立つ。特に、シェーンベルグに「難解」という記号を与えた世界から、彼の音楽を奪い返す文章には動かされた。2022/04/12
たろーたん
4
文化産業論ってアルチュセールみたいなイデオロギー論だと思ってたけど、フーコーみたいな印象を受けた。イデオロギーとして「Aを選べ」というよりも「主体そのものを歪んだ形で規定する」という感じ。文化というものが人々の差異の可能性を僅かなものとして落ちぶらせ、自由の仮象が非自由の省察を妨げ、精神的退行を促す。そして、その状態において、文化批判はその蔓延している文化を物象化させ、むしろその文化を実存するかのようなものとして扱ってしまう。ただ、とてもちゃんと読めたとは言えないかな…。文章硬かったし。2022/04/15
井蛙
4
詩を書くことは野蛮であるということが明らかになった時代に芸術と文化はいかに存続してゆくのか。そしてその批判者たる哲学者の使命は何か。本書はこうした問いに対するアドルノの答え=実践である。美術館に芸術作品の死を見る偉大な碩学ヴァレリーに対して、その中で思い出を享楽する偉大な素人プルーストが描かれているのはその例だ。マンハイム、シュペングラー、ヴェブレンのようなほとんど忘却されてしまった思想家に対する論考も今こそ読むと新しい問題を照らし出してくれるかもしれない。2018/01/16
drf
2
戦後ドイツ屈指の社会学者たるアドルノによる珠玉の文化批判のアンソロジーです。難解だけれども、数々の鋭い示唆はとても説明しきれません。しかし、「ヴァレリー プルースト 美術館」以降の後半部はあまりにもベンヤミンを意識し過ぎていて、果たしてこれはアドルノなのだろうか、と疑問に思われてなりません。それでもなお、「カフカおぼえ書」の覚束ない筆致から窺える文化への洞察は、恐らくはベンヤミンを介してアドルノ自身の理想の批評を暗示しているのかも知れない。例え、グレーテルに笑われたとしても。2018/11/27