内容説明
A・スティーグリッツからJ・P・ウィトキンまで、近代都市の発生から終末のビジョンまでを精緻に記述し、写真が織りなす二十世紀の感受性、人間の概念の変容を浮かびあがらせるとともに時代感情の壁を辿るモノクロームの文化史。
目次
1 都市と時間の象徴―変わりゆく時空認識
2 機械神の幻影―“光の死”とその後の展開
3 ザデインされるイコン―機能する写真の新しい均衡
4 揺れ動く記録―「主観」と「現実」への眼差し
5 他者のフィギュア―人間と環境のはざまに
6 メディアと死の位相―終末の様々なヴィジョン
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
翔亀
44
写真とは、現実をそのまま写し取るという生易しいものではない、というだけでなく、人間概念の終末までに行きついてしまった「二十世紀の黙示録」だったという観点から写真史を硬質な文体で語る。現代アートの一分野としての写真史でもなく、報道写真が権力や商業に活用されたということだけではない。私が撮るような遠近法で風景を写しとる写真というのは19世紀の話ときかされてギョっとし、20世紀の写真家たちのめくるめく営為の積み重ねに、読んでいて頭と眼がくらくらした。↓2014/12/30
うえ
6
デウス・エクス・マキナ。「E・フォールはその『約束の地をみつめて』のなかで、この時期に地球が機械によって…神経組織を持った昆虫からあっというまに高等な哺乳動物の血管と神経の網の目を獲得したと…述べている。血管とは道路・鉄道・自動車・飛行機・船舶であり、神経とは写真・電信電話・ラジオ・映画のことである…遠くロシアではロドチェンコが写真的表現をデザインという社会的有効性を持つものに転換し…キエフ・バレエは人間の舞踏を機械の機能的な動きと同じように捉え、メイエルホリドは機械論的構造を持つ演技論を展開していた。」2023/08/05
子音はC 母音はA
5
様々な研究者、評論家が写真史を扱っているが此の著者はやはり写真に於ける身体論を書かせたら右に出る者はいないと思う。第6章の(メディアと死の位相)は写真選び、論考共に秀逸。70年代以降のメディア環境の変化が身体の拡張を施しそのまま写真の変容に繋がる。2014/06/26
地を這う円盤
0
写真は都市化、内面化に関係する。2017/01/11
とんかつ
0
ざっくりと写真史を知るのには良かったと思う。2009/07/05