内容説明
小津的なるものの神話から瞳を解き放ち、その映画の魅力の真の動因に迫る画期的著作。
目次
序章 遊戯の規則
1 否定すること
2 食べること
3 着換えること
4 住むこと
5 見ること
6 立ちどまること
7 晴れること
終章 快楽と残酷さ
付録(厚田雄春氏インタヴュー;井上雪子氏インタヴュー;『東京物語』『秋日和』撮影記録)
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
k5
75
面白かった。最初に『表層批評宣言』とか読んでしまったせいで、蓮實重彦のイメージはとても悪いんですが、この本は名著。とくに「食べること」「着換えること」「晴れること」の三章はひたすらに素晴らしい。私は小津の映画では「生まれてはみたけれど」が好きですが、少年たちが野外で弁当を食べるシーンの解説はまさに「感動的」です。一方、階段が画面に現れないこととか、グッとこちらの目を惹きつけておいて、とくにオチがないこともあり、こういう時は「説話論的」だの「感動的」だのワンパターンのボキャブラリーが濫発されるので疲れます。2020/08/02
こうすけ
23
いわずと知れた、蓮實重彦による小津安二郎論。30を越え、ようやく小津映画の楽しみかたがわかってきたので読む。本書の要だが、やはり、小津は日本的とか静的とかいうものからかけ離れた作家だと思う。二階の部屋の考察などが特に面白かった。小津組カメラマンのインタビューも良い。大学時代、『晩春』のクライマックスでインサートされる壺の画について、一年間勉強させられたことを思い出した。小津はいい。2023/10/04
mstr_kk
4
大好きな小津映画について、大好きな蓮實さんが、縦横無尽に語ってくれた、ただただ楽しい本でした。 文章はきっちりしているのに、あっという間に読めます。2014/09/29
オランジーナ@
2
いまいち2018/12/06
JunKawa
2
「誰もが小津を知っており、何の危険もともなわぬ遊戯として小津的な状況を生きうると確信しているのは、誰も小津安二郎の作品を見てなどいないからだ。小津的なものとは、瞳が画面を抹殺した後ではじめて可能となる映画とは無縁の遊戯にすぎない。小津安二郎の映画を現実に見つつある瞬間、人は、断じて小津的な遊戯を楽しむことなどできないだろう。」2016/01/09