出版社内容情報
縄文人は南方起源ではなく、じつは「弥生人顔」も存在しなかった。骨考古学の最新研究によって、歴史学の通説を科学的に検証。日本人の真実の姿を明らかにする。
内容説明
発掘された古人骨を調べ、当時の人の様子を明らかにする「骨考古学」。その進展によって、日本列島の歴史は大きく書き換えられねばならないことがわかってきた。実は縄文人は南方からやってきたのではない。大陸から渡来した弥生人が縄文人を駆逐したというのも本当ではない。そもそも「弥生人顔」など存在しない―旧来の歴史学に根強く残る誤謬を科学的視点から検証。人々の生身の姿を復原し歴史をひもとく「身体史観」を提唱する。骨考古学の第一人者が、日本人の実像に迫る。
目次
1 日本人の実像を探る(旧石器時代人;縄文人;「弥生人」;古墳時代人;「中世人」・近世人・近現代人)
2 「身体史観」の挑戦(旧来の日本人論の誤りをただす;旧来の歴史観はどこが誤っているのか)
著者等紹介
片山一道[カタヤマカズミチ]
1945年広島県生まれ。先史人類学・骨考古学。京都大学名誉教授。京都大学農林生物学科卒業。同大大学院修士課程修了。京都大学霊長類研究所教授、京都大学大学院理学研究科教授などを歴任。理学博士(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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翔亀
47
遺跡の人骨を追いかけ続けた研究者による日本史の再構築だ。骨というリアルそのものを見つめてきただけに、イデオロギーや歴史観のベールに惑わされない"素直"な眼がポイントだろう。弥生人は、水田稲作とともに渡来して、縄文人と取って代わったり、混血したわけではなかった、というのが歴史学的には大きな知見かな。縄文人は、日本列島の中で長い時間をかけて縄文人という均質な身体をもつ存在になった(外から来たのではなく日本列島で生まれ育った)。弥生あたりから古墳時代にかけて、帰化人も加わりながら階級差や地域差が生まれてきた。 2015/11/10
へくとぱすかる
36
遺骨を調べれば、その時代の日本人像が見えてくる。新しいものほどよく残ると考えがちだが、そうはいかないところが不思議。日本の土壌環境では、古い人骨が残ることはまれであり、歴史上の時代に亡くなった人の骨は非常に少ないとのこと。特別な条件として、石灰岩質の土地、あるいは貝塚(貝殻の炭酸カルシウムがアルカリ性の土壌を保つ)に埋葬された骨は残りやすいらしい。ともあれ、遺骨からみる限り、日本人は集団として大きな変化や入れ替わりを経験してなくて、渡来人の集団移住などは、思っている以上に小規模らしい。果たして真実は?2015/05/15
Book & Travel
27
各時代の遺跡から発掘された人骨からその時代の人の身体的特徴を分析し、そこから日本人の変遷とルーツを探っている。そういった骨考古学の見地から語られる「縄文人はどこからも来ていない」「弥生人は、稲作と共に渡来し縄文人と入れ替わっていったわけではない」などといった話は、説得力があってとても興味深かった。後半は、その「身体史観」から現在の歴史認識の誤りについて言及されるが、面白い話もあるのだが、文献中心の歴史学に対して感情的で、少し説得力が薄いと感じるところが多かった。2015/12/28
ゆきこ
26
発掘された古人骨をもとに、当時の身体特徴や生活文化を解き明かしていく骨考古学の観点から、日本人の歴史を考察していく一冊。新しい歴史の見方を教えてもらえて良かったです。特に縄文人から弥生人への変遷のあたりが一番印象に残りました。また、「関東史観」という言葉を初めて知りました。2019/06/21
matsu04
25
人類学者・骨考古学者である著者は、およそ700万年にも及ぶ人類の歴史の99.9%は先史時代なのだとし、このことから日本の歴史教育の偏向性、欠陥を大いに指摘する。現今の歴史教科書についても「縄文時代の扱いが粗雑に過ぎる」と愚痴っぽくなったり様々な難癖をつけるのであるが、ふうむ…、なかなか面白い。司馬遼太郎批判にも頷けるところがある。2015/11/06