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ちくま新書
八月十五日の神話―終戦記念日のメディア学

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  • サイズ 新書判/ページ数 278p/高さ 18cm
  • 商品コード 9784480062444
  • NDC分類 361.45
  • Cコード C0236

出版社内容情報

「八月ジャーナリズム」の総決算!
1945年8月15日、それは本当に「終戦」だったのか?
メディアの検証を通じて、戦後日本を問い直す。

内容説明

八月一五日が来るたび、先の戦争のことが語られる。だが、終戦の“世界標準”からすれば、玉音放送のあった「八・一五=終戦」ではなく、ポツダム宣言を受諾した八月一四日か、降伏文書に調印した九月二日が終戦の日である。にもかかわらず、「八・一五=終戦」となっているのは、なぜか。この問いに答えるべく本書は、「玉音写真」、新聞の終戦報道、お盆のラジオ放送、歴史教科書の終戦記述などを取り上げ、「終戦」の記憶がいかにして創られていったかを明らかにする。「先の戦争」とどう向き合うかを問い直す問題作である。

目次

序章 メディアが創った「終戦」の記憶(「八一五字の八・一五詔書」;セピア色の記憶―『北海道新聞』の玉音写真;八月十五日の九州飛行機工場;「玉音写真」がつむぎだす物語)
第1章 降伏記念日から終戦記念日へ―「断絶」を演出する新聞報道(「終戦」とは何か;勝者と敗者の終戦記念日;創られる記憶;「玉音の記憶」に根差す戦没者追悼式)
第2章 玉音放送の古層―戦前と戦後をつなぐお盆ラジオ(聖霊月と「八月ジャーナリズム」;玉音放送のオーディエンス;お盆ラジオの持続低音―甲子園野球と「戦没英霊盂蘭盆会法要」;玉音神話と「全国戦没者追悼式」)
第3章 自明な記憶から曖昧な歴史へ―歴史教科書のメディア学(国定教科書の混乱と検定教科書の成立;「終戦」記述の再編;記憶と歴史の対峙―一九六三年‐一九八一年;歴史家=政治化する記憶‐一九八二年以降;おわりにかえて―戦後世代の「終戦記念日」を!)

著者等紹介

佐藤卓己[サトウタクミ]
1960年広島県生まれ。84年、京都大学文学部史学科卒業。87‐89年、ミュンヘン大学近代史研究所留学。89年、京都大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。京都大学博士(文学)。東京大学新聞研究所・社会情報研究所助手、同志社大学文学部助教授、国際日本文化研究センター助教授を経て、京都大学大学院教育学研究科助教授。専攻はメディア史、大衆文化論。著書に『「キング」の時代―国民大衆雑誌の公共性』(岩波書店、2002年、日本出版学会賞受賞、サントリー学芸賞受賞)、『言論統制―情報官・鈴木庫三と教育の国防国家』(中央公論新社、2004年、吉田茂賞受賞)などがある
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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

おかむら

33
8月15日は終戦記念日、ってのを特別なんの疑問もなく受けとめていましたが、メディアがいかにして記憶を作っていったのかそもそもから解き明かす。玉音放送を聞いて泣き崩れる女子勤労学生の写真はホンモノか?を調べるくだりはミステリー的面白さ! いまはフツーに天皇が喋ってるのをニュースで見れますが当時の「玉音」の有り難みってか畏れ多さがハンパない。新聞やラジオ、教科書等の変遷を通して国内の右や左、近隣諸国の思惑も学べます。面白いねー。2018/05/13

Toska

9
なぜ降伏を受諾した日でも文書に調印した日でもなく、国民にそれを発表しただけの日付が「終戦の日」として何の疑問もなく受容されてきたのか。「降伏」の事実を直視したくない心情、お盆との関わり、そして近隣諸国との論争の影響。ちなみにそのお盆でさえ、戦前の日本では戦死した「英霊」を称揚するため人為的に伝統が作られてきた側面があるのだという。とにかく色々な意味で考えさせられた。著者はこの一冊のために当時の新聞記事やラジオの番組表、あるいは歴史教科書など膨大な史料と格闘しており、メディア史研究の苦労が思いやられる。2022/03/11

スズツキ

7
これが今月のナンバーワンですね。時期的にも良かったかな。実は文庫化しているようですが。各種参考書を見回しても正確な日付が掲載されているにもかかわらず、何故か日常生活では全く違った日付で覚えられている終戦日。その原因を解き明かすと共に近年また隆盛の感のある「敗戦≒終戦」論への見解。また、中国が日付を「終戦」の変更していく理由や韓国が15日を終戦とすることについての舌鋒鋭い意見(15日は日本国民に向けた終戦発表であり、その日を終戦とするのは韓国の協調する民族的抵抗の精神と齟齬を生むのではないか)が目新しい。2015/03/14

AKa

6
「なぜ終戦記念日が8月15日なのか」という普通の人からすれば捻くれているとしか見えないかも知れない問いを、新聞記事や雑誌論文、ラジオ番組の編成、そして教科書などといったメディアを通じて考察し、その政治性や宗教性などを浮かび上がらせている。特に玉音放送に関する写真の批判はスリリングですらある。ところで、この本の特筆すべきところは、実証過程におけるミスをわざわざ白状している点であろう。この白状は、歴史学における実証とはどのようなものかの一端を示していおり、それ故に怪我の功名なのかも知れない。2020/03/30

おらひらお

6
2005年初版。基本的に著者買いの一冊。8月15日の心理と9月2日の論理という考え方を提示した本です。結構蛍光ペンを使ってしまうぐらいいいネタが入っていました。ちなみに朝日の天声人語・・・戦前は神風賦というタイトルだったようです。著者の指摘の通り、玉音放送を聞き入る国民の姿の写真は新聞には間に合わないですよね。学校の先生も必読の本といえそうです。2013/01/23

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