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ちくま新書
ゆとり教育から個性浪費社会へ

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  • サイズ 新書判/ページ数 235p/高さ 18cm
  • 商品コード 9784480061515
  • NDC分類 372.1
  • Cコード C0237

内容説明

「ゆとり教育」をきっかけに始まった学力論争は結局、新自由主義的方向で決着しつつある。学習指導要領をめぐる混乱に見られるように迷走を続ける文部科学省は、産業界主導の能力主義派とそこに便乗するポストモダン評論家の間で揺れ動き、巨大なグローバリズムの流れのなかで平等主義という価値は大きく変更された。豊かな人間性を表すはずの「個性」はいつのまにか競争に生き残るための道具と変わってしまうのだ。レーガン・サッチャー改革で実現した欧米型個性浪費社会へと突入する日本の教育と社会のつながりを考察する。

目次

第1章 世紀末学力論争の構図(日本教育史の流れからみた「ゆとり改革」;これまでの能力主義を回復すべきなのか―近代能力主義派の議論 ほか)
第2章 近代能力主義(モダン・メリットクラシー)の歴史としくみ(学校と社会の接続のしかた;初めから全国標準化された日本の学校系統 ほか)
第3章 バブルと「新たなこころの発見」―ゆとり(脱近代カリキュラム)改革の経過(臨教審(一九八四~八七年)の逆ベクトル改革
教育的価値のコペルニクス的転換 ほか)
第4章 文部行政の宮廷革命―ゆとり改革と脱近代能力主義の政治力学(すべてのはじまりの臨教審(一九八四~八七年)
バブル教育政策を支えたポストモダニズム官僚・学者たち ほか)
第5章 脱近代能力主義(ポストモダン・メリットクラシー)の近未来(資本主義のフロンティア―地理的外延から「こころ」へ;国際能力主義(グローバル・メリットクラシー)の成長 ほか)

著者等紹介

岩木秀夫[イワキヒデオ]
1947年青森県生まれ。東京大学大学院教育学研究科博士課程単位取得満期退学。同助手、国立教育研究所(旧)室長を経て、現在、日本女子大学人間社会学部教育学科教授。専攻は教育社会学。政治経済システム、文化システム、人格システムなどと学校教育とが、相互にどのように関連しているのかを総体的に論理化することが一貫したテーマ
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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

きいち

25
ゆとりがどう、っていう短絡からまず離れること。◇明治の学制以降の歴史的な射程からの議論、他の先進国の状況との比較・・この人はこういう立場からここを批判してる、っていうふうな短絡的な理解をしっかりと避けているので一見読みにくいけれど、おかげで読みながら、自分の立場を定めていくことができる形になっている。自分で考えろ、と。◇コンピテンシーの教育とコンテンツの教育。でもこれ二者択一じゃない。本気でコンピテンシー教育と思ったらコンテンツを素材とするしかないのだから。格差回避のための脱出口、そのあたりにあるのかも。2016/07/18

ミツ

8
良作。“ゆとり教育”についての概説を期待していたが、予想外に専門的かつ射程が広い。学校教育と政治経済システム、文化システム、人格システムを絡めてゆとり教育とポストモダニズム、新自由主義がどのように連関しているかをゆとり教育成立の経緯とそれをめぐる論争、近代教育システムの歴史、アメリカ、イギリスなど海外の教育制度との比較を通して論じる。教育社会学というと何ともニッチだが、歴史、政治経済、社会文化など幅広い知識が前提とされていてなかなか読むのが大変だった。要再読か。2011/02/13

ぼっこれあんにゃ

3
△文章が下手。イライラするくらい下手。読み終わるのにすごく時間がかかったが、その時間に見合うほどの内容は書いていない。ただし、ゆとり教育の変遷については概ね分かりました。2012/05/14

Naota_t

2
★3.2/本書の目的は、ゆとり教育改革と学力低下論争が、学校を取り巻く社会のどのような動きを背景にして起こり、社会にどのような姿を指し示しているか考えること(p18)。ゆとり教育は2002年開始だが、何十年も議論があり合意形成、実施された背景を知らなかった。ただ結果を見て批判するのはナンセンス。明確な指導要領があるものの、伝える側、実施する側、生徒側が意図を理解できていないことから、残念な結果になったのだろう。学力偏重することなく、イディオシンクラシーを尊重し、多様にオプションが選択できる教育を望む。2023/08/23

バグマン

2
教育史を近代国民国家を作っていく段階(日本だと明治)にまで遡り、アメリカやイギリスとは違う日本の教育制度の根本的な部分を読み解く。戦後教育で問題とされていた諸々のこと(集団主義、努力主義、中央集権的、偏差値序列)も、やはりそこに端を発している。ゆとり教育で中央集権から地方分権へ変えたかったのなら、ちゃんとやればよかった。地域社会の自己決定を機能させるためには長期的な努力が必要だ。ゆとりにすれば何かが変わるとか、やめれば元に戻るとか、この短絡的な思考は何だ。不毛としか言いようがない。2014/06/26

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