内容説明
薄明かりの土間に、死んだ友人の後妻が立っている。夫の遺品を返してほしいと、いつも同じ時刻にそっと訪ねてくるのだ。はじめは字引、次に語学の教科書、そしてサラサーテ自奏のレコード―。映画化もされた表題作「サラサーテの盤」をはじめ不可思議な連作「東京日記」、宮城道雄の死を描く「東海道刈谷駅」など、百〓(けん)の創作を集める。
著者等紹介
内田百〓[ウチダヒャッケン]
1889‐1971。小説家、随筆家。岡山市の造り酒屋の一人息子として生れる。東大独文科在学中に夏目漱石門下となる。陸軍士官学校、海軍機関学校、法政大学などでドイツ語を教えた。1967年、芸術院会員推薦を辞退。本名、内田栄造。別号、百鬼園(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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buchipanda3
106
作品集。いやあ内田百けん良いなあ。著者が綴り始めた途端、すっと目の前に浮かび上がる風情ある世界に入り込む。難解ではなく無駄のない流麗な文章に身を委ねていると、その隙を突くかのようにいつの間にか不穏で覚束ない舞台に紛れ込んでいた。しかし見えている世界が確かなものとは限らない。普段見えていないところにこそ確かなものがあるのではというような思いに駆られ、気が付けばまた著者の文章に身を委ねる自分が居た。「菊の雨」に酔い痴れ、鬱屈への洒落か「南山寿」なんざんす。動物で人の驕りを示せば、人の生の不可思議な叙情も描く。2023/07/16
佐島楓
42
茫洋としていてつかみどころがない。ぼんやりとした世界の中で突然怪異が起こる。それさえも霞の中であるようで、気味が悪い。奇妙な世界の中に、片手をつかまれて引きずり込まれていく。2016/06/25
hanchyan@飄々
40
久々に百閒先生を。やっぱ素晴らしいな〜。って当たり前っちゃ当たり前だ。巻末の解説で三島由紀夫が手放しで絶賛してるていうのに(笑)改めて何を言えるわけでもないんだが、ま、ともかく。いわゆる怪異譚・幻想譚の多くには『闇(的な何か)』が現れ、概ね[『不穏・不安』→『闇の現出』→『恐怖』]的な推移で語られる(「やだなー」→「出た!」→「怖い〜」)ていうわけだが、百閒先生はその推移(→)部分に「淋しい」なんてのを差し挟むのね。それにより、蟠った『闇』の相貌が、より生なましく身近に感じられちゃう。そういう↓2021/08/09
六点
27
内田百間の短編集成である。代表作と言っても過言ではない『サラサーテの盤』や宮城道雄の奇禍を描いた痛切な『東海道刈谷驛』、現実と幻想が物凄い反応を起こしている『東京日記』などが収録されている。『葉蘭』のように「お前はそれで良いのかッ!」と思わず叫びそうになるオチもある。ただ、百閒先生が言うと本当にそういう事をやるんではなかろうかと、創作物でありながらそう思わせる不思議な話など、掌編の面白さを堪能できる。没後半世紀を閲しても、読者がどんどん現れる大作家はやはり、面白い。2020/05/26
Mark
24
読者は、全く意味もなく異界とこの世の狭間を行き来させられます。百閒先生ならではの一冊です。 怪談というカテゴリ分類すら陳腐なものに思えてくるほど不気味さが立ち昇ってきます。 巻末の解説では、最晩年の三島由紀夫が百閒先生を「真の文章家」と絶賛しています。実際には現実でない怪異を、ただひたすら文章の力だけで表現するという技は、誰にも真似のできない所業、と三島が評するのは納得できます。2020/09/02