出版社内容情報
死者を想うとはどういうことか。生きる苦しみは何に由来するのか。「生きて在ること」の根源を問い続ける著者の、思索と洞察の書。
内容説明
死者を想うとはどういうことか。生きることの苦しみは何に由来するのか。曹洞禅の根本道場・永平寺に二十年、死者供養の聖地・霊場恐山に十年、“生きて在ること”の根源を問い続ける著者のブログ「恐山あれこれ日記」を精選し、編み直して一冊とする。よるべなき現代人におくる思索と洞察の書。
目次
第1章 恐山へようこそ―死者に会う場所(これより恐山;しょせん、勝てない ほか)
第2章 生きることの「意味」(教えてもらう住職;忘れてよいこと ほか)
第3章 「自分」であることの困難(ずっと前から、もっと遠くから;言葉による不在 ほか)
第4章 苦しくとも生きていく覚悟(モデルの効果;死の強度、生の力 ほか)
第5章 かなしみに寄り添うもの(大震災;弔うということ ほか)
著者等紹介
南直哉[ミナミジキサイ]
1958年長野県生まれ。早稲田大学第一文学部卒。一般企業を経て、84年曹洞宗において出家得度。大本山永平寺に上山、約20年に及ぶ修行生活を送る。現在、福井県霊泉寺住職、青森県恐山菩提寺院代(住職代理)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
Aki
16
日本人だからであろうか、仏教に勤しんでは来なかったが腑に落ちる思考方法が非常に多かった。この世の一切を空とするのは、諦念なんかではなく、非常に謙虚な世界の見方であると思う。達観とも言えるその謙虚さは、成功や成長といった病理とも言えるまでの社会の圧迫感溢れる要請に対し、ありのままの現実を見つめる視線を与えてくれる。金儲けの為に描かれた傲慢な啓発本よりも、圧倒的にこの社会に必要な著書。2019/11/20
nemunomori
8
霊場恐山の院代・南直哉和尚のブログ「恐山あれこれ日記」の精選編。著者は「正法眼蔵を読む」「日常生活のなかの禅」などで近代哲学を踏まえて仏教をロジカルに解説される超知性派ですが、ここでは実はお茶目な一面が垣間見えます。新幹線で乗り合わせた厚顔無恥な乗客にキレて「なぜ私は腹が立つのか!! ミカンももらったのに!! ああ、齢五十をこえてなお、私の修行はかくも未熟なのか!!?」と叫ぶ『怒らない練習』は爆笑の一遍。宗教の暖かさに癒やされ修行の厳しさに深く考えさせられるエッセイ集でした。2016/05/14
Risa Shimowada
7
数年ぶりに読む南氏の本。ブログまとめ本で面白かった。エッセイ系の良さって今までピンと来なかったが、大きなテーマについて様々な方向、方法で語られる手法と考えると使い出があるのかも。笑ってしまう部分や、お坊さんが資本主義とイスラム教について考えるのかというような新鮮な驚きもあって良かった。「ゆるく淡い(そして信頼を築くための長さがある)関係」の良さという指摘も良かった。緊密すぎると関係を壊したくないが故に言えないこともあると。色々考えてる人だけど、結局人とのやり取りから見えてくる話が良かった。それは2020/08/16
akihiko810/アカウント移行中
6
図書館本。恐山の院代・南直哉和尚のブログ「恐山あれこれ日記」。印象度B+ 南老師のブログは以前から読んでいたのだが、あらためて書籍で読む。南老師の普段の人となりや、思考がわかって面白い。中学に講演にいったら、元引きこもり少女が「南の本に救われた」と言ってくれた話は、物書き冥利に尽きるだろう、いいエピソードだ2020/01/11
ぺこなみ
2
△ 読みやすさと読みにくさが半々2020/03/06