ウィトゲンシュタイン全集 〈5〉 ウィトゲンシュタインとウィーン学団/倫理学講話 黒崎宏

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ウィトゲンシュタイン全集 〈5〉 ウィトゲンシュタインとウィーン学団/倫理学講話 黒崎宏

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  • サイズ A5判/ページ数 418p/高さ 22cm
  • 商品コード 9784469110159
  • NDC分類 134.9
  • Cコード C3310

出版社内容情報

シリーズ解説:
「彼を知りえたことは私の生涯の中で最も刺激的な知的冒険の一つであった」という B・ラッセルの証言を引くまでもなく、ウィトゲンシュタインの哲学的思索の軌跡は、二十世紀の知的世界が遭遇した一つの事件であった。比類のない分析力のおもむくところは、論理的に完璧な言語の構想から、具体的な語の使われ方に文法を見出そうとするところにまで及び、考察の照準は、一貫して言語の批判に向けられていた。

内容説明:
『論理哲学論考』の崩壊過程

本書は、ウィトゲンシュタインがシュリックとヴァイスマインを相手に行った討論の記録である。「無矛盾性」「構文法」の問題を中心に、「無限」「倫理と宗教」など多岐にわたるテーマが縦横に論じられる。移行期の代表作『哲学的文法』に直結するこの討論は、『論理哲学的論考』の主題が崩壊していく過程をつぶさに示すものであり、書き下ろしの作品でないだけにかえって生き生きと、彼の肉声と予期せざる一面を伝えてくれる興味深い資料である。ほかに、倫理学の根本問題を諄々と説いた好篇「倫理学講話」を収める。

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

またの名

14
円と線が接してる部分をズームで拡大したら、厳密に一点だけで重なってはみ出したり離れてたりしないのか?という子どもじみた問いが、真剣に追及される問答。数学の前提に立って数式のように構築された論理学さえ手に入れば哲学は全て解決、と高をくくった若かりし頃の思索とヴィトは決別していく。数学で使うイコールも論理的な否定「~ではない」も確固とした真理を何ら述べることができない現実を前に、思考のモデルを数学から言語的な文法に変更。にもかかわらずヴィトの昔の哲学的立場を絶賛する人々が押し寄せ、微妙な空気感で行われた対話。2018/01/06

Bartleby

6
「倫理学講話」まず相対的価値と絶対的価値が区別され、前者は事実の記述に変換できることが、後者は有意味な形で語ることができないことが説明される。絶対的価値について語るのはナンセンスだと言いながらも、それを語ろうとする人々の性を否定はせず、むしろそこにウィトゲンシュタインの静かな優しさを感じる。それは「語り得ぬことには沈黙しなければならない」で締めくくられる「論考」にも通じるものであるように感じた。2012/05/30

roughfractus02

0
分析と総合を区別する経験論を基点とする論理実証主義者たちが『論考』を評価したことに対し、著者は自著を批判する側から彼らの討議に参加する。『論考』では「猫は動物で、ほうれん草は植物だ」という文は、前半も後半も真なら全体は真であり、どちらかが偽なら全体も偽であるという「命題は要素命題の真理関数」(個の集合としての全体)を採用していた。だが、『文法』での数学等の検討から、著者は「~と信じる」という命題なしにこの関数は成立しないと主張する。ここから著者は「ゲーム」とそれを信じること、つまり倫理へ思考をシフトする。2017/02/09

Masato Kurosawa

0
倫理とは判断であり、判断とはすべて価値判断である。ところで絶対的価値は語り得ないものであり、語ったとしても具体的意味を持ち得ない。ーーーそれゆえ倫理学は不可能である。しかし、何がしか聖なる倫理の深淵のようなものが、どこでもない場所で語られないまま、いつまでも掴み取られないままに「存在せずに在る」のかもしれない、と想像することはできる。本当に価値は相対的なものでしかないのか、と疑る人間が居る限り、その深淵はどうしても在るのではないか。ゆえに語り得ぬことについて語り続けることには、確かに意味がある、と云える2014/02/26

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