写真の哲学のために―テクノロジーとヴィジュアルカルチャー

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  • サイズ B6判/ページ数 192p/高さ 19cm
  • 商品コード 9784326153404
  • NDC分類 740.4
  • Cコード C3010

出版社内容情報

人類は呪術的な画像イメージの段階から、概念的思考が可能な文字テキストの時代を経て、150年前に「写真」という新しいメディアを得た。写真以後、映画、TV、コンピュータを含め、著者が称するところの「テクノ画像」(複製メディア)の時代へと突入する。このメディアは一見現実をそのまま捉えるかにみえるが、「装置」が介在し、制作、流通、受容の場を支配する。 脱産業社会/情報社会における人間の「自由」はどう得られるのか? 文明論的考察。

内容説明

脱産業社会/情報社会における「装置」と「人間」が作り出す新しい自由とは何か。ベンヤミン、マクルーハンを超えるメディア=文明論の地平。

目次

写真の哲学のために―テクノロジーとヴィジュアルカルチャー(画像;テクノ画像;写真装置;写真行為;写真;写真の流通;写真の受容;写真の宇宙;写真の哲学の必要性)
解説 文化の大転換のさなかに―二〇世紀末にフルッサーをどう読むべきか

著者等紹介

フルッサー,ヴィレム[フルッサー,ヴィレム][Flusser,Vil´em]
1920年、チェコのプラハに生まれ、1939年にプラハ大学で哲学の研究を始めた。1940年に、まずイギリス、ロンドンに移住し、それに続いてブラジル、サンパウロに赴き、そこで研究を進めた。学問的な活動と並行して、1961年まで変圧器会社の部長も務めた。言語哲学的な主題に関する最初の論文は1957年、「サンパウロ文学」で発表され、1960年より同誌の同人となった。1959年、科学哲学の講師としてサンパウロ大学に招聘される。1961年から数多くのブラジルの新聞や雑誌で定期的に論文を発表。1962年、ブラジル哲学協会の会員となる。1963年には、サンパウロにある「コミュニケーションと精神科学のための大学」のコミュニケーション哲学の正教授に任命される。また、ビエンナーレ美術財団の顧問に招請される。1964年から、ブラジルの哲学雑誌の共同編集者になる。1966年には、アメリカ合衆国とヨーロッパでの文化的な共同研究のために、ブラジル外務省の大使となる。1967年より、アメリカとヨーロッパのさまざまな大学で数多くの客員講義を行う。また、さまざまな国際会議にブラジル代表として参加する。アメリカ、ヨーロッパの数多くの新聞と雑誌にも執筆。1972年にイタリアに移住したのち、フランスに転居する。1977年より定期的にブラジルで講演旅行を行う。70年代にはヨーロッパに拠点を置き執筆・講演活動を続けた。1991年、交通事故によりプラハで不慮の死を遂げる。1997年、メディア哲学への多大な貢献が認められ、カールスルーエのZKM(芸術とメディアテクノロジーのためのセンター)より「ジーメンス・メディア芸術賞」を授与される

深川雅文[フカガワマサフミ]
1958年佐賀市生。九州大学文学部哲学科西洋哲学史卒業・同大学院文学研究科修士課程修了。1988年より川崎市市民ミュージアム・学芸員。写真論、デザイン論。著書に『光のプロジェクト―写真、モダニズムを超えて』(青弓社、平成20年度日本写真協会学芸賞受賞)などがある

室井尚[ムロイヒサシ]
1955年山形生。京都大学大学院文学研究科博士後期課程修了。現在、横浜国立大学教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

多聞

6
本書は写真論としてだけではなく、第三次産業におけるシステムやプログラムと戯れる中から新しい自由を生み出す可能性、文化や知識を組織化して、新しいモデルの形成を訴えるなど情報論やメディア論以外にも様々な視点からの読み方が可能となっている。これからの在り方を考える上での参考になりうるだろう。2013/02/11

roughfractus02

4
メディア論は人間の変容をマンマシン・インターフェースから未来へ向ける。著者は写真を行為から捉え、撮る時は絵画の制作者でなく機械の操作者(オペレーター)となり、見る時は直線状に並ぶ文字を読むのではなく平面を眺めまわす(一瞬でも)という。加えて、操作者はすでに製品としてプログラムされた機械に従い、資本主義の生産から消費への移行を実現する点も指摘する。マクルーハンが人間概念の進化を称えるのに対し、著者がその変容を強調するのは、その語用に散見するブレインマシン・インターフェースを目指すAI用語からも理解できる。2017/03/02

ubon-ratchat

3
ここからどんな読みを引き出すかは「読者」の問題意識に委ねられている、というおもしろい本。本文も示唆的な記述がみられて面白いけれど、解説が秀逸なので読むべし。むしろ室井さんの本が読みたくなるおまけ付き。2010/11/10

kain

0
本文もさる事ながら、フルッサーの20世紀末における位置づけを図る室井氏の解説が非常に良かった。2010/12/22

yo_c1973111

0
かなり難解である。というかほとんど理解できない。後半に付される室井尚氏の解説がなければ読めない。(解説「はじめに」にて”本書の解説ではない”旨を書いてあるが、後半ではちゃんと解説してくれている。やさしい..)つまりはコミュニケーションメディウムとして有史以前から何度か変遷が起こっており、”写真”の出現と使われ方(あり方)はわれわれの社会での自主性(≒自由)を再構成できるきっかけとなる蓋然性を包摂している(または哲学することができる)、ということあたりなのだろうか?2019/08/29

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