内容説明
哲学者ウィトゲンシュタインと数学者チューリングの間にあった「対決」とは何か?1939年の直接対決からその後の発展にいたるまで、二人の思想の対立を詳細に検討した到達点に現れるものは?数学の基礎をめぐる論争のみならず、認知科学の基礎をめぐる論争の中に位置づけ、認知科学における両者の思想の影響と意義を探究する。
目次
第1部 チューリングの機械とチューリングのテーゼ(チューリングの機械;チャーチ=チューリングのテーゼ)
第2部 ウィトゲンシュタインの批判(ウィトゲンシュタインの1939年の講義;CTテーゼ再び)
第3部 チューリングの逆襲(人工知能とチューリング・テスト;志向性の謎とウィトゲンシュタインのスワンプ計算機)
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
EnJoeToh
13
ウィトゲンシュタインを「取り囲む」ものから見れば、ウィトゲンシュタインが優越する。2014/06/09
魔魔男爵
3
誤植392P23行目×目論→○目的論。名(迷?)文引用:ウィトゲンシュタイン"目は顔の一部でなければ表情を持つだろうか?":A.「チューリング(以下T)のテーゼ」我々にとって自然に計算可能とみなせる数(関数、述語、etc)は、すべてTの機械で計算可能である(それを計算するT機械がある)。B.「Tのテーゼイージー」Tの機械で計算可能なものは、すべて我々にとって自然に計算可能とみなせる。C.「フルアーマーTのテーゼ」何かが我々にとって直観的に計算可能であるということは、それがTの機械で計算可能である(それを計2017/03/27
オフィス派の宇宙図
3
ウィトゲンシュタインはチューリングともバトルしていた。チューリング機械は計算をするのか?そこから志向性についての謎が現れる。サールの中国語の部屋やデイヴィッドソンのスワンプマンなどはウィトゲンシュタインが既により徹底した形で論じていた。最終的に現れるアスペクト論とは?最後の盛り上がりはラブライブくらい感動した2015/09/07
おちこち
2
ウィトゲンシュタインの数学の哲学と心の哲学を1939年にケンブリッジ大学で行った講義の検討を通じて論じている。この本のタイトルにあるとおり、ウィトゲンシュタインの講義に出席していたチューリングとのやりとりから二人の思想の違いが浮かび上がってくる。また、CTテーゼ(チャーチ=チューリングのテーゼ)の詳細な検討や「取り囲み」という概念を通したアスペクト論は他の類書ではほとんど見かけないものでとても興味深いものだった。2013/07/27
马
0
出版するため本を書くって行為といわゆる数学的実在論はそんなに遠くない関係にある気もする2014/09/09