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内容説明
農民出身ながら、怒涛の時代に、幕政を担う老中の代行役として、備中松山藩(岡山県高梁市)を赤字から黒字経営に転換させ、藩政改革を見事に果たした山田方谷。改革成功の秘訣は何か?民の幸福を願い「人としての誠を貫く」生き方の中に見えてくるものは…。行財政改革に混迷する今の世におくる啓発の一書。
目次
第1部 備中が生んだ希代の神童(藩主の留守を守り抜く;幕府の運営は庄屋仕立て;家臣としての分限を心得る ほか)
第2部 「誠」を貫く改革の炎(治国の大方針確立が先決;鷹山の大義を称える;山だし家老に藩の全権を委任 ほか)
第3部 分限を生き抜いた孤高の名臣(徳川政権は汚れ傷んだ古着;安政の大獄案に具申;時流に逆らっても仕方ない ほか)
著者等紹介
童門冬二[ドウモンフユジ]
1927年東京生まれ。第四三回芥川賞候補。日本文芸家協会・日本推理作家協会会員。東京都広報室長、企画調整局長、政策室長等をつとめ、1979年退職
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
スー
21
108山田方谷という優れた人物が居たのを初めて知りました。山田方谷は農民出身だが元は武士の家系で親から家名復活の期待を受け学問に打ち込み備中松山藩の藩主に認められ養子となった若様の教育がかりになり財政改善を命じられ誠を通して商人や領民から信頼され財政の立て直しに成功する。相変わらず童門節でサクサク読めました。大野藩の話と似た印象でした、やはり嘘より誠を通した方が遠回りに見えて実際は近道なんですね。2022/12/06
kochi
19
山田方谷は幕末備中松山藩の農商の生まれ。幼少より神童と呼ばれ、学問の道で家名再興を目指す。やがて藩主の目にとまり、家老となった方谷は、藩の財政状況を開示して商人達からデフォルトへの協力をとりつけ、倹約を進めながら、新規産業を興し、藩政改革を成功させる。この本を紹介してくれた方は、現在からみても、適切な方法論よりも、「人としての誠を貫く」という方谷の基本理念を強調されていた。こちらはなかなか難しい…2012/07/21
北之庄
11
河井継之助の師にして、我らが新島襄先生とも縁の深い、備中松山藩家老 山田方谷の一代記。その人となりや業績をコンパクトに纏めた本書は、手っ取り早く彼を知るには適切な著作。経世済民を旨に藩の財政再建を果たし、幕閣に連なる藩主板倉勝静を支えた手腕は見事に尽きる!ただ譜代藩であったが為、公武合体・尊皇敬幕の穏健派的な旗印は、後世どうしてもやや色褪せた印象となる点が残念。先年、彼が再興した岡山藩の閑谷学校を訪ねたが、清廉で凛とした佇まいが印象的だった。きっと彼もそんな人だったのだろう。2017/06/17
KNJOB
6
原則を前提とし、立場や、役割を全うするために、誠実に向き合う事、助言者ではなく、あくまで実行者であり続けた方谷の人生を熱く描いていた。 文中にあった、温良恭倹譲、肝に命じたい。 童門さんの著書は、いつも心の在り様、原則、方針の大切さを学べる。 そして、 不確かな感情を持つ人間のそれぞれの価値観のぶつかり合いや、相乗効果の瞬間を、読む側の私に想像しやすく描いてくださっていてとても勉強になる。 今回、山田方谷という人物を初めて知ったが、方谷を取り巻く人々のことも興味が湧いたので、もっと知りたいと感じた。2022/01/05
furu_sato_sf
4
主君へ誠をつくした上で備中松山藩の様々な改革を実行した方谷だが、彼にとっての不運は、誠を尽くす対象である板倉勝静の立場上、幕府という組織が時代に合わなくなっていたことが分かっていたとしても、親幕府という立ち位置を取らざるを得なかったことである。もし外様大名に彼が仕えていたとしたら、どのような結果になったのかは興味深いところである。ただ、その場をしのぐためだけに物事を行うのではなく、先の手を考えた上で改革を行うことの必要性は、今の仕事にもつながる点がある。2018/11/02