放射能汚染の現実を超えて

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放射能汚染の現実を超えて

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  • サイズ B6判/ページ数 197p/高さ 19cm
  • 商品コード 9784309245522
  • NDC分類 543.5
  • Cコード C0036

出版社内容情報

1986年チェルノブイリ原発の大事故後、旧ソ、ヨーロッパだけでなく日本でも汚染は拡がっていた。原発の現場から食品など具体的な放射能汚染の実態を綴り、原発への警告を鳴らす。

【目次】

まえがき――『放射能汚染の現実を超えて』復刊にあたって

序 人命の尊厳と反原発運動
人類は自ら蒔いた種で、遠からず絶滅する/人類が滅亡しても、地球は新たな生命を育む/反原発の根拠/生き方の中にこそ生命の尊厳はある

Ⅰ チェルノブイリの死の灰はどこに行ったのか
チェルノブイリ原発の大事故/野菜が汚染された/母乳にまで放射能が/今も続く食品汚染/放出された死の灰/ヨーロッパ・ソ連の汚染の深刻さ/チェルノブイリ周辺の汚染の恐怖/もし九州で事故が起こったら/100万~200万の人がガンに/子供たちに集中する犠牲/有機農業に集中する汚染/工業化で潰されてきた農業/エネルギー浪費社会の末路/人間差別の上にしか成り立たない原発/汚染食品とどう向き合うのか/第三世界の現実/私たち自身が加害者に

Ⅱ 弱い人たちを踏台にした「幸せ」
放射能で汚れた食べ物/日本が拒否しても汚染は消えない/過酷な現実といわれなき差別/私たち自身が加害者になっている/子供たちの澄んだ瞳

Ⅲ 放射能汚染の現実を超えて
チェルノブイリ原発事故/ソ連、ヨーロッパの汚染の深刻さ/日本の状況/本当に必要なこと

Ⅳ 放射能汚染の中での反原発
はじめに/国の規制値にはまったく根拠がない/安全な被曝量など存在しない/原発の恩恵を受けている国は汚染も受け入れよ/弱者にしわ寄せされる放射能汚染食糧/誰が立証すべきなのか/運動はどういう波及効果を持つか/国が恐れていることと、運動に必要なこと/多元的な運動と根源的な運動/運動の形成と目標/根源的な運動の具体像/この現実を差別と呼ばずに何と呼ぶのか/「唯一の被爆国」と呼ぶ誤り/朝鮮人被爆者をいまだに差別し続けている私たち/排外主義から国際連帯へ/国際連帯に至る日本人としての条件/反原発運動の飛躍のために/どういう人たちの立場に立つのか

Ⅴ 多様な運動の根源における連帯
存在する無数の課題と連帯の地平/汚染測定の醜さと活路

Ⅵ 有機農法玄米のセシウム汚染が教えるもの
はじめに/汚染の強さを決める要因/チェルノブイリ原発事故による日本国内の汚染/玄米のセシウム汚染の主犯は過去の核実験にある/それぞれの玄米からの被曝量/汚染への向き合い方

Ⅶ 原子力開発と地球環境問題
原子力開発の看板の変遷/温暖化問題と化石燃料の浪費/日本による略奪的な森林伐採/温暖化問題の本質はエネルギー浪費/エネルギーを浪費しない社会への道/原子力はクリーンでも安全でもない/原発は石油がなければ動かない/おわりに――いわれなき犠牲をさけること

内容説明

原子炉の心臓部である炉心が大規模に溶け落ちる「メルトダウン」を防いでいるのは、生身の人間たちの苦闘である。そして、この苦闘は今からまだ何カ月も続かざるをえない。運良く、その苦闘が実を結んで破局的な事故を防いだとしても、破壊された原子炉を始末するには、何十年もの苦闘が待っている(まえがき『放射能汚染の現実を超えて』復刊にあたって)。今こそ読まれるべき原発への警告の書。

目次

序 生命の尊厳と反原発運動
1 チェルノブイリの死の灰はどこに行ったのか
2 弱い人たちを踏台にした「幸せ」
3 放射能汚染の現実を超えて
4 放射能汚染の中での反原発
5 多様な運動の根源における連帯
6 有機農法玄米のセシウム汚染が教えるもの
7 原子力開発と地球環境問題

著者等紹介

小出裕章[コイデヒロアキ]
1949年東京生まれ、東京育ち。1968年東北大学工学部原子核工学科に入学する。1970年女川で闘われていた原発反対運動に参加する。1974年に京都大学原子炉実験所助手になる。現在、同助教(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

更紗蝦

5
原発が差別の上に成り立っているということがよく理解できる本です。原発を「科学の問題」という視点だけで見ていると、差別の構図は見えてきません。原発は「社会の問題」であり、「倫理の問題」でもあります。2012/10/08

Celeste

4
1991年の復刊本。チェルノブイリの事故を受けて,当時はヨーロッパ産のチーズやパスタの輸入制限の騒ぎがあった。著者は「原子力を選択するということはどういうことかを自分の身体に刻み込むために,そしてその痛みを忘れないことによって一刻も早く原子力を廃絶するために」敢えてそれらを食べ続けてきたという。原発は弱者の犠牲の上にしか成り立たないこと,放射能に安全な閾値などないこと,決して夢のエネルギーではないことを40年以上前から訴えてきた著者の強い思いを感じる。もっと早く多くの人にこの本が読まれていれば,と思う。2012/12/23

cracra

4
これは倫理にまつわる書物です。差別の構造、犠牲のシステムは原発に限ったことではない。第三世界をはじめとする、弱者の痛みの上にあぐらをかいたような生活スタイルを、日本人は改めなければならない。2011/08/21

ひめ

4
この著書が最初に発行されたのが1991年…このときに既にこれだけの危険性と現実が警告されていたのに。20年間、警告は無視され3・11を迎える。書かれたひとつひとつが本当に胸に響きます。脱原発を訴える真意は、エネルギー浪費が第三世界の搾取になり弱者を迫害するものだから、という主旨に、なにも考えずただ浪費に甘んじてきた過去の自分への痛悔を再認識し、さらにこれからもこの先も放射能汚染とともに生きるという意味を噛み締め直しました。(→コメ欄)2011/07/21

てふてふ

3
チェルノブイリほど離れているのに日本でもすべての食品が汚染されたという事実、じゃあ福島は…と戦慄しました。2011/06/06

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