内容説明
「カテーの問題」と言われたら、その「カテー」が家庭か假定かあるいは課程か、日本人は文脈から瞬時に判断する。無意識のうちに該当する漢字を思い浮かべながら…。あたりまえのようでいて、これはじつは奇妙なことなのだ。本来、言語の実体は音声である。しかるに日本語では文字が言語の実体であり、漢字に結びつけないと意味が確定しない。では、なぜこのような顛倒が生じたのか?漢字と日本語の歴史をたどりながら、その謎を解きあかす。
目次
第1章 漢字がやってきた(カテーの問題;世界でたったひとつの文字;漢語とはどういう言語か;不器用な日本人)
第2章 日本人は漢字をこう加工した(訓よみとかな;日本語の素姓;漢字崇拝という愚)
第3章 明治以後(新語の洪水;翻訳語―日本と中国;顛倒した言語―日本語;「歴史」と「進歩」)
第4章 国語改革四十年(漢字をやめようという運動;国語改革とは何だったのか;当用漢字の字体;新村出の痛憤)
終章 やっかいな重荷
著者等紹介
高島俊男[タカシマトシオ]
1937年生れ、兵庫県相生出身。東京大学大学院修了。中国語学・中国文学専攻。著書に『李白と杜甫』、『水滸伝と日本人』(第5回大衆文学研究賞)、『三国志きらめく群像』、『本が好き、悪口言うのはもっと好き』(第11回講談社エッセイ賞)、『漱石の夏やすみ』(第52回読売文学賞)など多数
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感想・レビュー
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harass
71
元々外国人向けの日本語の漢字についての文を膨らました本だという。砕けた講義調の新書。日本語は文字として漢字を取り入れることで、それに引きずられるいびつな発展をしてしまったと著者。同音異義語の多さから、頭の中で文を参照しながら会話をするという世界でも珍しい言語であるなど、一種の日本人論。明治期と終戦時の漢字撤廃論の流れなど政府の日本語政策の話が興味深かった。かな文字論者やローマ字論者などそういう連中がいたなあと再認識。中国由来と日本発の漢字やそれらの組み合わせなど細かく考察してあり、興味がある人にはお勧め。2018/04/09
takaC
71
ずいぶんこむずかしいというかややこしい内容で、まじめに読んだらえらく疲れて、最後まで読み切れてホッとした。2016/11/26
ばりぼー
42
日本語というのは、地球上どこにも親戚のいない、孤立無「縁」のことばである。その日本語が中国から漢字を輸入し、漢字を用いて表記することになったのは、恩恵を受けたと考えるのは間違いで、日本語にとっては不幸なことであった。日本語が漢語の浸食を受けなければ、「理」や「義」や「徳」に相当するような、しかしそれらとは違った日本人の抽象概念が生活の中からうまれ、またそれらをさすことばがうまれていたであろうが、その可能性が断たれたのである…。私も日本人は合理的に漢字を取り込んだと思い込んでいたので、目から鱗でした。2016/09/20
ひろき@巨人の肩
41
図書館本。言語学として日本語を学べる必読本。漢語と漢字の完全な調和に驚き、その漢字が日本語で使うのに如何に難しいか論理的に理解できた。隋・唐の時代の漢語の大量輸入、明治維新の西洋語の大量輸入によって起こる日本語変質の歴史も興味深い。その中で漢字の訓読みに隠れる生粋の日本語は昔から話されていたと思うとロマンを感じる。口元が不器用な日本人が、日本語が成熟する前に漢字を取り入れてしまい、西洋語の字音語化することで、脳で漢字変換しながら日本語を聞くという特殊能力を身につけた。そんな不器用な日本人が愛おしくなる。2016/05/19
ユウユウ
30
以下、抜粋。「日本人にとって、ことばの実体は文字であり、音より形を重視する。日本語は音節構造が簡単であり(100音節くらい。英語は3000。漢語は1500+声調で区別)、日本人が発音できる音の数は限られている。字が違えば異なる言葉だと認識し、音声に対しては無頓着になれる。世界の言語には文字が必然のものではないものもあるが、日本語だけが語彙のなかば以上が文字のうらづけなしに成り立たない。言語としては畸形的だが、これを正常・健全な姿にしようというのは困難。日本語は、畸形のまま生きてゆくほか生存の方法はない。」2019/09/12