中公文庫
保科正之―徳川将軍家を支えた会津藩主

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  • サイズ 文庫判/ページ数 233p/高さ 15cm
  • 商品コード 9784122046856
  • NDC分類 289.1
  • Cコード C1121

出版社内容情報

徳川秀忠の庶子という境遇から、兄家光に見出され、将軍輔弼役として文治主義政治への切換えの立役者となった会津松平家初代の事績。〈解説〉山内昌之

内容説明

徳川秀忠の庶子という境遇から、異腹の兄家光に見出され、将軍輔弼役として幕政に精励、武断政治から文治主義政治への切換えの立役者となった、会津松平家祖・保科正之。明治以降、闇に隠された“名君”の事績を掘り起こす。

目次

第1章 家光の異母弟として(正之の出自;家光の忠長への怨情 ほか)
第2章 将軍家綱の輔弼役(「託孤の遺命」;慶安事件 ほか)
第3章 高遠・山形・会津の藩政(江戸にあって藩政をおこなう;保科家の家臣団 ほか)
第4章 その私生活(秘されていた正之の出生;正之の妻と子 ほか)

著者等紹介

中村彰彦[ナカムラアキヒコ]
1949年、栃木県栃木市生まれ。東北大学文学部在学中に、「風船ガムの海」で第三十四回文學界新人賞に佳作入選。同大卒業後、文藝春秋に勤務する。『週刊文春』『諸君!』『オール讀物』『別冊文藝春秋』の各編集部および文藝出版部次長を歴任。その間の87年、『明治新選組』で第十回エンタテインメント小説大賞受賞。91年より執筆活動に専念する。93年、『五左衛門坂の敵討』で第一回中山義秀文学賞を、94年には『二つの山河』で第一一一回直木賞を、2005年には『落花は枝に還らずとも』で第二四回新田次郎文学賞を受賞する(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

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saga

37
保科家と言えば会津藩のイメージが強く、正之が訳ありではあるが二代将軍秀忠の血を継ぐ方であったことは知らなかった。徳川宗家をひたすら盛り立てるスタンスと、優れた知的才能から文治政治を指向し、実際に民を深く思う施策を行ったことが理解できる。残念なのは明治政府による徳川治世の全否定の中で、正之の業績が現代の日本人に知悉されていないこと。著者のような歴史作家が正之という人物を伝えてくれたことに感謝。2016/12/10

Gotoran

27
会津史に精通した著者が、異腹の兄家光に見出され、家光からの「託孤の遺命」で家継の輔弼役となり、徳川幕府の礎を築いた会津藩祖保科正之の不世出の名君ぶりを幾多の関連史料を紐解き・掘出し・披露した本書。環境が異なり一概には比較はできないが、現代の為政者に欠けているもの(リーダーシップと責任感)が見えてくる。先に読んだ『保科肥後守お袖帖』のあとがきで同著者は云う、幕末会津藩きっての勇将佐川官兵衛の生涯を調べた過程で出くわした「土津公」(保科正之の神号)。仔細に調べる内に保科正之の偉業の数々を知り、より多くの↓2013/10/13

鐵太郎

13
徳川秀忠の庶子として生まれ、のちに会津藩の祖となった保科正之の生涯を追った本。家光に仕え、大老格として家綱の幕政を助けたこの人物の業績は、創業のあとの守成の時代であったためということもあり、あまり知られていません。こんな人物もいたのですねぇ。2010/05/11

i'm

7
天地明察や一刀斎夢録を読んで保科正之を知り、久しぶりに小説以外の本を読みました。民衆のために政治をする保科正之のようなリーダーが増えて欲しいです。いろいろなことが学べた本でした!2013/10/11

ともこ

6
大火で焼け落ちた江戸城天守閣を再建するよりも、民の生活復興を優先させた保科正之に関心を持ちこの本を読んだ。災害に備える社倉を創設し、年金制度の先駆けとも思える90才以上の人への扶持配布など福祉の精神を形にした。一揆を起こした民の始末や、「婦人女子の言、一切聞くべからず」など疑問に思う点もあるが、文治政治の元を築いた人であった。家光の異母弟であるにもかかわらず、徳川や松平の姓を断り、養子先の保科家の繁栄に努めた。家光・家綱親子の良き参謀として多大な働きをし、現代社会の礎ともなった保科正之にはやはり惹かれる。2021/05/04

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