内容説明
ブラム・ストーカーの名高い伝奇小説『吸血鬼ドラキュラ』のモデルとして世界的に知られる、ルーマニアのワラキア公ヴラッド・ツェペシュ伯爵とは何者なのか―。祖国の統一と独立に献身したワラキア公の業績を歴史的に究明し、フィクションの「ドラキュラ」との差違にも言及する、出色の評伝。
目次
第1章 ツェペシュ公の家族、青年時代と最初の治政(1448年)
第2章 ヴラディスラヴ2世の治政(1447~1456年)、ヴラッド・ツェペシュの追放と復位(1456年)
第3章 ヴラッド・ツェペシュの国内政策
第4章 ヴラッド・ツェペシュとシュテファン大公
第5章 ワラキアとトランシルヴァニア、ハンガリーとの関係
第6章 ヴラッド・ツェペシュの1462年、対モハメッド2世戦の勝利
第7章 ヴラッドの失墜と逮捕
第8章 1462~1476年間のワラキア。ヴラッド・ツェペシュの最後の治政。公の死(1476年)
第9章 ルーマニア人のみたヴラッド・ツェペシュ
第10章 ドラキュラという異名の登場
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
鐵太郎
3
ルーマニアでは、トルコ帝国と戦った英雄。日本では、ドラキュラ「伯爵」のモデルである怪しげな中世の領主。ヴラド・ツェペシュとは何者なのか。イタリア人年代作家によると1462年6月23日、ヴラド・ツェペシュは乾坤一擲の奇襲攻撃をかけ、トルコ軍に数万の損害を与えたあげくに、もう少しでモハメド2世の命脈を絶てるところまで攻め入りました。ヨーロッパの(知日家の)歴史学者が、ヴラド・ツェペシュを指して「東欧の織田信長」と呼んだ所以です。 ──こんな史実のヴラドという中世領主の姿を描いたノンフィクション。ほう。2005/10/25
冬至楼均
2
今更だけど、これが書かれた当時のルーマニアは社会主義国家。その後の変化にも興味があります。2010/02/16
ホームズ
2
1996年7月11日初読
丰
0
Y-202008/09/10