内容説明
ローマが「ローマ」でなくなっていく―帝国再建を目指した二人の皇帝、だがその努力が、逆に衰亡へと拍車をかける。塩野七生が描く新たな「衰亡史」、いよいよ核心へ。
目次
第1章 ディオクレティアヌスの時代(紀元二八四年‐三〇五年)(迷走からの脱出;「二頭政」;「四頭政」 ほか)
第2部 コンスタンティヌスの時代(紀元三〇六年‐三三七年)(「四頭政」崩壊;皇帝六人;首脳会談 ほか)
第3部 コンスタンティヌスとキリスト教(雌伏の時期;表舞台に;「ミラノ勅令」 ほか)
著者等紹介
塩野七生[シオノナナミ]
1937年7月、東京に生れる。学習院大学文学部哲学科卒業後、63年から68年にかけて、イタリアに遊びつつ学んだ。68年に執筆活動を開始し、「ルネサンスの女たち」を「中央公論」誌に発表。初めての書下ろし長編『チェーザレ・ボルシアあるいは優雅なる冷酷』により1970年度毎日出版文化賞を受賞。この年からイタリアに住む。82年、『海の都の物語』によりサントリー学芸賞。83年、菊池寛賞。92年より、ローマ帝国興亡の一千年を描く「ローマ人の物語」にとりくみ、一年に一作のペースで執筆中。93年、『ローマ人の物語1』により新潮学芸賞。99年、司馬遼太郎賞。2002年、イタリア政府より国家功労賞を授与される
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感想・レビュー
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NAO
66
ディオクレティアヌスは、ローマ帝国を四分割統治とした。もちろん自分以外の三人を決めたのは彼だし四人には明らかな順列があった。だが四人は自分の統治地区について絶対的な権力を持っていた。そして、最高位のディオクレティアヌスが統治したのは、ローマではなく東オリエントだった。四分割はローマ帝国の長い国境線を守るための苦肉の策だが、ローマ帝国の心臓部であるローマに最高位の皇帝がいないのは、明らかに異常だ。属州生まれの軍人皇帝には、ローマとは、もはやそれほど重要な土地ではなかったということなのだろうか。⇒2021/06/26
kk
26
ローマ帝国晩期において比類ない存在感を示した二人の皇帝、ディオクレティアヌスとコンスタンティヌスを中心にした物語。打ち寄せる危機と累積する社会矛盾への回答としての、ローマ的アイデンティティの大変容、そしてキリスト教の体制取込み。「これほどまでして 、ロ ーマ帝国は生き延びねばならなかったのであろうか 」この述懐は、著者だけでなく、ここまで読み進めてきた全ての読者の胸に迫るものがあります。2019/08/13
俊
22
3世紀後半の蛮族侵入の激化、ペルシアの侵攻という問題に、ディオクレティアヌスは皇帝2人、副帝2人の四頭政で対処する。それぞれ撃退に成功し、一時的な平和を取り戻したが、軍事費の増大はローマの財政を大きく悪化させた。ディオクレティアヌスの引退後間もなく四頭政は崩壊、その後の混乱を収めたコンスタンティヌスが皇帝に即位し、ミラノ勅令という歴史の転換点となる勅令を出す。ローマは衰退しつつも、この2人の皇帝により1世紀以上延命される。しかし、その代償として「ローマらしさ」を殆ど失った。 2014/05/21
星落秋風五丈原
21
未曾有の混乱から帝国を立て直そうとした二人の皇帝、だが彼らの努力はローマから「ローマらしさ」を奪っていく??塩野版ローマ帝国衰亡史は佳境に!2005/01/15
ロビン
18
13巻はディオクレティアヌスと「大帝」コンスタンティヌスの治世が描かれる。目の前の問題に対処するために行われた数々の施策によってローマが徐々に非ローマ化していく。コンスタンティヌスは当時は少数派であったキリスト教の「絶対神」の権威に目をつけ、自分の権力を正当化するために「ミラノ勅令」にて公認を与えて利用するが、それはローマ世界を決定的に変質させ、時代は中世へと向かっていく。コンスタンティヌスが政局安定のためにここまでキリスト教を奨励したとは知らなかった(信仰より利益のために改宗する人が多かったという)。2022/09/25