内容説明
もはやローマの衰退は止まらない。危機を克服する力を失ったのはなぜか。ローマ帝国衰亡の真の原因を解明する力作。
目次
第1部 ローマ帝国・三世紀前半(紀元二一一年‐二一八年;紀元二一八年‐二三五年;紀元二三五年‐二六〇年)
第2部 ローマ帝国・三世紀後半(紀元二六〇年‐二七〇年;紀元二七〇年‐二八四年;ローマ帝国とキリスト教)
著者等紹介
塩野七生[シオノナナミ]
1937年7月、東京に生れる。学習院大学文学部哲学科卒業後、63年から68年にかけて、イタリアに遊びつつ学んだ。68年に執筆活動を開始し、「ルネサンスの女たち」を「中央公論」誌に発表。初めての書下ろし長編『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』により1970年度毎日出版文化賞を受賞。この年からイタリアに住む。82年、『海の都の物語』によりサントリー学芸賞。83年、菊池寛賞。92年より、ローマ帝国興亡の一千年を描く「ローマ人の物語」にとりくみ、一年に一作のペースで執筆中。93年、『ローマ人の物語1』により新潮学芸賞。99年、司馬遼太郎賞。2001年、『塩野七生ルネサンス著作集』全七巻を刊行。2002年、イタリア政府より国家功労賞を授与される
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
kk
24
日本では卑弥呼がブイブイ言わせ、中国では曹操とか諸葛亮とかがバトルロイヤルを楽しんでた時代のローマ帝国。ここにきていきなりの「土砂降り」的な展開。蛮族怒涛の侵入、悪疫の猖獗、政治指導部の不安定、公共心の低下と自信の喪失。ローマをローマたらしめてきた、古代市民的な価値に基づく共同体は崩壊の危機に瀕し、その間隙を窺うかの如き、新宗教風靡のきざし。だんだん読むのが辛くなってくるね。でも、しっかり最後まで見届けなきゃね。2019/05/27
俊
20
73年間で22人もの皇帝が即位した混迷の時代を描く。この22人の皇帝の殆どが部下に謀殺されるという異常な事態。普通の国ならこの時点で滅んでいただろう。ここでまだ持ちこたえる辺り、腐ってもローマといった感じがする。この時代にカラカラ帝とガリエヌス帝は、全属州民のローマ市民化、元老議員の将官クラスからの排除という二つの法律を作成する。どちらも必要に迫られて作った法律だったが、前者は税収の低下と民衆の向上心の減少、後者は議員の軍への影響力低下という結果をもたらす。ローマの「らしさ」が失われつつあるのが悲しい。2014/05/17
ロビン
17
12巻は、皇帝カラカラからディオクレティアヌスまでの73年間にもう両手では数えきれないほどの数の皇帝が擁立されては殺害されていく(皇帝の名前を記憶しようと頑張っていたが途中であきらめた)。皇帝たちの政策が勘所を外すようになり、東方ではパルティアに代わりササン朝ペルシアが台頭したうえに皇帝ヴァレリアヌスがペルシア王の捕虜となり、更に「パルミラ帝国」が勝手に振る舞う。北の蛮族も質が変わりガンガンローマ帝国内に侵入、どさくさにローマの将軍が「ガリア帝国」を作るしで、カオスである。よく瓦解せず踏ん張ったものだ。2022/08/08
星落秋風五丈原
12
ローマはもはや、危機を糧とし発展しつづける覇者ではなくなっていた。経済は低迷し蛮族の進入が相次ぐ中、皇帝はめまぐるしく入れ変わる。帝国の衰退を決定付けた「危機の三世紀」の実相に迫る。2004/01/24
橋川桂
10
よくもまあ次々と、という苦難の連続。ぼーっと読んでるとうっかり読み飛ばしちゃった間に皇帝が殺されてる。違う時代なら賢帝と評されたろう手腕を振るった人もいるだけに、時代が悪かったとしか言いようがない。2017/11/21